こんにちは、ハチです。
どうやらわたしは、論理的思考というのが苦手なようです。
思えば、高校の数学で挫折。
社会人になっても、法律絡みでパニック。
3・4つ事象が重なると、混乱するようです。
「論理力を鍛えよう」などの脳トレなどもありますが、
スマホのゲームなら、もっと複雑な論理トレーニングをしてる気がします。
ですが、いくらゲームをしても一向に実社会で役立つ論理的思考力は身に付かない。
経験から、この能力は鍛えられるものではないという結論に至りました。
努力は遺伝に勝てない。
自分は変われない。能力は鍛えられない。
この本を思い出しました。
ですが、世の中を見渡せば、論理、論理・・・マジ論理。
マウントの取り合いばかり。
なぜ世界は「論理」だらけなのか?
これについては、最近読んだ本で納得したことが書いてありました。
「人間は論理的に生きていない」
であるのに、なにゆえ人は論理的思考を求めるのか?
たぶん、それは「矛盾を嫌う」からだ。
人間は「合理的が好きなのではなく、矛盾していることが怖い」のだ。
人を納得させるための理由付けのために論理が必要なのだ。
わかりやすい言葉でいえば、「言い訳」だ。
人から良く見られたい。批判されたくない。弱さを見せずに生きたい。
上手く仕事をして立ちまわりたい。
人ともめごとを起こさずカッコよく生きたい。
このようなことが前提にあるから、論理矛盾を起こすことを嫌がるのだ、と。
人間が存在する限り、ずっと「論理の世界」で生きることになるでしょうね。
(本来、人間は論理的に生きていないのに・・・)
だって、欲が前提にあるから。
欲が無ければ人間、生きてないですから。
論理で考えるのが苦手な人には、生きづらい世の中だなぁと感じるのはそういうことだったのですね。
何か「習得」するには?
誰しも、生きていく上で、何かしら「習得」する必要がありますが、
大きく分けて、2つの方向が考えられます。
ひとつは、
1.情報をいっぱい集めて、論理的に取捨選択する道。
もうひとつは、
2.痛い思いをしつつ経験から体感で習得する道。
絶対的に1が良い。
痛い思いをしたくないですから。
だけど、論理的思考が苦手だと、「習得」できない。
これは、もっと痛いです。
生きづらさにつながる。
今更ですが、論理が苦手なわたしは1の道をあきらめようと思います。
2の道を行くのは痛い思いをする覚悟が必要ですね。
ブルース・リーの「Don’t think , feel」じゃないけど、
そっちの方が得意ならそうした方が良いと。
これについては、この本で面白いことが書かれていて、
「西洋哲学」と「東洋哲学」の違いについて、
「西洋哲学」は、一歩一歩階段を上るように「真理」に近づくようなものである。
一方、「東洋哲学」は、ある日突然、「我、悟り(真理)を得たりー!」(どーん)って言っていきなり神のような存在が現れる。
後世の人は、その人が言ったことにあらゆる解釈を付けるから、混乱、派閥が生まれる・・・
まさに「論理」と「非論理」の歴史が、マンガを読むように書かれている名著でオススメです。
哲学が何かは今でもわかりませんが、わたしの人生の礎となるようなことがこの本にあるような気がします。
宣伝はこれくらいにして、
習得したことを人に伝えることで影響力が増す
生きるには、習得したものを形にしていかなければなりません。
身に付けたものを誰かに価値提供しなければ、稼げませんからね。
稼げなければ、生きづらくなるものです。
よくこんなたとえがありますが、
「名選手より名コーチ」
限られた名選手になるには、才能が必要です。
メジャーリーグに行けるのは、やっぱり才能が必要で、
どうやっても、運だけでは無理です。
ですが、名コーチになるのは、知識や実績の積み上げなど努力で、
名選手ほど狭き道ではないでしょう。
運によって抜擢され、運によって実績になることもあるでしょう。
「名コーチ」でなくても、小学生を教える「ただのコーチ」だとしても、
多くの小学生を教える中で、たまたま才能のある子が「名選手」になったとしたら、あなたは「名コーチ」の仲間入りです。
打算的でいやらしい話しなのですが、そういうこともあるでしょう。
ちょっとそれましたが、言いたいのは、
コーチのような、人に教える、影響力を及ぼす存在でないと、成功や思うように人生を謳歌するには厳しいのではないかということです。
あまりにも狭き門、「名選手」。
その再、やっぱり必要なのは「ことば」、伝える手段としては「ことば」しかないんです。
「俺のやり方を見て覚えろ」で、何人の人が同じように理解できるでしょうか?
「ことば」だけが人間の共通理解を助ける唯一のツールです。
また、「ことば」にして本や動画で伝えられたら、そのコピーで何十倍・何百倍にも届けられるでしょうね。
その「ことば」を上手く伝えられない、論理的思考力がない人は、どうすれば良いのでしょう。
それは、
文章を書くこと
人に伝える手段として最も適してるのは、
対面での口語だと思います。
表情や身振り手振りも交えて情報を伝えられることは、相手により多い情報量を与えられ、意図したことに近くなるだろうと。
ですが、やっかいなのが、ことばの瞬発力を必要とすることです。
論理的思考力に乏しい人が、より短い時間で適切なことばを選べるとは到底できません。
ですが、文章なら。
練る時間があるでしょう。
伝え方の型や、手助けするツールもググれば出てきます。
ひとつオススメの無料ツールをご紹介します。
論理的思考力のないわたしにはなくてはならないツールです。
それは、「Dynalist(ダイナリスト)」。
いわゆる「アウトライナー」と呼ばれるツールで、
文章を階層構造に並べ替えられるものです。
この記事も「Dynalist(ダイナリスト)」で書いてます。
こんな風に下書きとして利用してます。
どういう風に使ってるかというと、
まず、バァーっとランダムに思いつく脳内の「伝えたいこと」を書き出していきます。
(論理的思考力の無いわたしは、何の脈絡もなくランダムに思いつく・・・)
調べたことも、とりあえず出せるだけ出す。後で付け足すなり、削ります。
そしたら、話の流れというか、ストーリーを考えて、並び替えます。
この並び替え作業が圧倒的に早くて、楽。
文章書くだけなら、「マインドマップ」よりも良い。
で、最後に肉付けしたり、不要なところを削り、整えます。
論理的思考を助けてくれる最強ツールです。
良いところを整理しますね。
・無料で使えることが多い(完全無料で十分)
・操作性が良い(思考スピードに置いてかれない)
・スマホアプリと瞬時に同期(外出しててもパッとスマホで入力できる)
こういうありがたい思考補助ツールを使わなければ、文章なんて書けません。
ありがたやー、さんきゅー、感謝です。
精神面でいうと、
再び登場ですが、この本にこう書かれています。
「論理矛盾を起こしてもいっこうにかまわない」
!?
気になる方は読んでみてください。
知識は精神をも助けてくれます。
ということで、まとめますと、
「論理的に考えることが苦手な人は、文章を書いて影響力を拡げましょう」ということでした。
今回は以上です。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございました。