どうも、ハチです。
この記事は、
#認知 #価値
についてのはなしです。
どっちが見える(思いつく)?
先日、こんなツイートをしました。
羽生選手はメダル以上の価値
このニュースを『悲観的』に見ることはできません。
・「成功ならず」とか
・「努力は報われなかった」とか
・「ノーメダルで終わった」とか。。。自分の保身(メダル)より、人類のデータとしての価値。
いつかそれに挑む後世の選手は、必ずこの映像を研究するだろう— ハチ@気づく・思いつく『感性』が欲しい (@hachi_hsp) February 11, 2022
羽生選手はメダル以上の価値このニュースを『悲観的』に見ることはできません。・「成功ならず」とか・「努力は報われなかった」とか・「ノーメダルで終わった」とか。。。自分の保身(メダル)より、人類のデータとしての価値。いつかそれに挑む後世の選手は、必ずこの映像を研究するだろう
羽生結弦に世界が称賛! 前人未踏の4回転半で「自分との闘い」制し、歴史に名を刻みレジェンドに(引用:ヤフーニュース)
少し前の私なら、
間違いなく、
「あー、残念( ノД`)シクシク…」
とか、
「ウソだろー(´・ω`・)エッ?」
って思考停止になっていたのが、
最近はこのツイートのように思えるようになりました。
どっちが見える(思いつく)か?
思考クセみたいなものがあるようです。
本当は、
「どっち(=2択)」どころか、
無数に解釈はあるハズなのに。。。
結局は、
#じぶんの中の問題 であり、
#認知 の歪みなんだろうな。
羽生結弦が生んだ金メダル以上の「価値」
自分の保身(メダル)より、人類のデータとしての価値。いつかそれに挑む後世の選手は、必ずこの映像を研究するだろう
・「メダル」は『個人』の価値
・「映像データ」は『人類共通』の価値
どっちが大きい?
まだ誰もなしえてないことに『挑戦』することは、
「悲観」どころか、「奨励」されるべきことです。
それが、
どんなに小さく、バカらしく見えることでも、
いつ「価値」になるのか、
はたまた、ならないのか、
そんなことは誰にもわかりません。
「誰もやったことないことをやる」人を、
うらやんだり、バカにしたり、上げ足を取ったりしない。
こんな人が世の中に増えたらいいな。
その『価値』も永遠ではなく、、、
4回転半が普通に飛べる選手が現れれば、、、
いつかその『価値』も薄れて、無くなるでしょう。
それが理(ことわり)。
悲しくも、ましてや喜ばしくもありません。
『価値は変動する』し、
だからこそ、
「CHANCEはみんなに平等にある」と思うのです。
ただ、それが見えるかどうか、、、
人間だけが無から価値を創造できる
最適解を見つけるのは「AI」、
価値を生み出すのが「人間」。