食事で夢中になる。そして気付いた「箸」の意味

食事で夢中になる。そして気付いた「箸」の意味

こんにちは、ハチ@夢中です。

 

夢中はどんな状況・どんな段階にも存在します。

 

入り易いのは、単純な行為。

食事は絶好のシチュエーションです。

 

箸を持つ。お茶碗を持つ。箸で食べ物をとる。口に運ぶ。咀嚼して、飲み込む。

 

こんなにも夢中への条件がそろっている行為が身近にあったのかと、改めて実感しました。

 

 

食事中に何か他のことをするのは、モッタイナイです。

TVを観たり、音楽を聴いたり、、、

 

せっかく夢中な時間を積み上げるCHANCEなのですから。

 

 

人生で何をするか。

結局、今、自分が「やれること」しか出来ないのです。

 

だったら、夢中な時間を積み上げていくことしかないのです。

 

何を「やる」か・何を「得た」かは問題でありません。

ただ「夢中であったか」どうかだけが重要なのです。

 

 

夢中でやると、そのときは何も気づけませんが、

我に帰ったとき、充実した時間を過ごしたという実感が湧いてきます。

 

結果は遅れてやってきます。

 

そして、毎回の食事を夢中で行うと、

「充実感」が溜まります。

 

気付けば「食事という行為」が好きになっています。

 

これも結果は遅れてやってきます。

 

ただ毎回、夢中になってればいいのです。

 

 

逆に、頑張って食事をすると、苦痛が溜まります。

頑張ると苦痛はセットです。

 

そうすると、苦痛が溜まり、食事が嫌いになります。

 

 

何が起こったのかというと、

自分(私)と食事の関係性が変わったのです。

 

この世界で確かなことは、「縁起」です。

「縁起」とは、すべてのことは「関係性」の中にあるという仏教の教えです。

 

ですから、食事だけでなく、すべてのことに「関係性」があるのです。

 

不思議なことに、

好きになろうと思っても、嫌いなものは好きになれません。

 

夢中になろうと思ってもなれないのと同じです。

 

夢中になるには行為に没頭するしかないのです。

 

あらゆることを夢中にやることで、そのことが好きになります。

「好き」では表現が乏しすぎました。

 

「愛おしく」なります。

 

行為でも人や生き物でも、モノでも。抽象的な概念でも。

 

 

愛おしくなると「認知」が変わります。

その対象のことを知りたくなります。

 

いや、知りたくなくても、勝手に情報が入ってきます。

 

情報の量と質が桁違いになります。

 

「好きこそものの上手なれ」とは、

「認知の量と質が格段に増える」から上手になるということです。

 

他人が気付かないことまで気付いてしまうのです。

 

 

ですから、何か上手になりたいとしたら、

ただ夢中になればいいのです。

 

どうしたら好きになれるか、

そこではないのです。

 

どうしたら夢中になれるか、です。

 

「箸」について気付いたこと

なぜ箸が使われてきたのか分かりました。

 

「夢中になれ」と、「行為に没頭しろ」と昔の誰かが推したのです。

 

 

ただ食事をするだけなら

スプーンの方が絶対楽です。

 

スプーンを思いつかなかったはずはないでしょう。

あんな単純な構造の食器。

 

誰かが推したのです。箸を。

 

最初は扱うのが難しかったでしょう。

子供のころの話しです。

 

小さい頃に箸を使わせるのは、最高の教育なのですね。

 

使い始めだけ手間取りますが、誰でも少したつと上達します。

慣れてしまいますね。

 

「慣れ」は「夢中」の大敵です。

慣れてしまっては、他のことに意識が向いてしまいます。

 

だから食事中にTVを観たり、音楽を聴いたり、、、

 

「行儀」とか「作法」とか小うるさいと思われるかもしれませんが、

「箸」の例からも、もっと深い意味があるようです。

 

他には「礼をする(頭を下げる)」などは、

人との(精神的な意味での)距離感を一定に保つことで、

いざこざを避ける知恵だったのではないでしょうか。

 

今では形だけになっていますが、、、

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