こんにちは、ハチ@夢中です。
夢中になってるときって、
ただ行為のみが存在している感じです。
「集中」とは違います。
やっている「私」が無くなっています。
「私」が認知されない状態?
夢中から戻るときの表現として、
『ハッと我にかえる』
これがピッタリです。
「私」がいない状態からの帰還です。
おかえりなさい。
「私」が無くなる
私=観測者です。
やっていることを認識している私です。
「集中」には私がいます。
頑張っている私が。
夢中になると、観測者がいない感じです。
なんか変ですが、そんな経験ないですか?
行為に没頭していて、気付いたら時間が過ぎていた、、、
そう、夢中になると「時間」も無くなります。
存在とは、観測者がいてはじめて成り立つものです。
「存在するもの」と「観測者」、そのどちらか一方でもなくなると、存在などありえません。
正確に言うと、
存在しているかどうかわかりません。
確認のしようがないのです。
存在しているとも、していないとも言えるし、言えないし、、、、
やっぱり変!?
さて、なんで夢中になると、関係性が変わるのか?
私=観測者が居ないので、
「比較」や「評価」が無くなります。
関係性が変わるというか、
無くなります。
ま・じ・で。
夢中から帰ってくると、全部フラットに見えます。
「比較」「評価」が無いのです。
好きも嫌いもありません。
すべてのものに「初めまして」です。
「おぎゃー」
「比較」や「評価」が無い世界に居れると、
「正しい世界」を認知できます。
本当はもっと不合理で不平等で残酷な世界。
(人によっては違うかも。私の場合です。)
正しい世界と自分の世界観のズレが、
苦しみや偏見を生み出しているのだと思います。
ちゃんと見る(見える)と、
「まーそうだろうね。知ってたよ」くらいで済みます。