こんにちは、ハチ@夢中です
「夢中」になると、よく「思考が一つ上にいく体験」をします。
「結局こういうことだよね」みたいな。
なぜかはこの記事で書いてます。
今回もごく個人的な「思いつき」なので、
「妄想」とか「戯言」だと思って読んでいただけたら有難いです。
私は、科学者でも、研究者でも、修行僧でもありません。
ずっと思っていた(感じていた)のですが、
少し考えがまとまったので、記事にしてみようと思います。
『しあわせ』についてです。
『しあわせ』には、2つ勘違いがあるなって思いました。
一つは、
『しあわせ』って
頑張って「得るもの」「積上げるもの」だという勘違い
もう一つは
ドーパミン系とセロトニン系が一緒くたになってる
です。
『しあわせ』って頑張って「得るもの」、「積上げるもの」だという勘違い
『しあわせ』って、その「状態」のことだと思うんですよね。
「あー、しあわせだなぁ」って思ってる状態
そしてその状態には一瞬でなれるんだってことです。
この記事に書いたのですが、
映画を観たら、自分の状態が一瞬で変わったという体験です。
しあわせな気分にもなれるし、
明日から頑張ろうって気分にもなれる。
ただ「あー面白かった(快)」でも「怖かったー」にもなれる。
映画は頑張って見た(「得たもの」)のではないし、
一瞬でなれるものは「積上げたもの」ではないです。
「でも、現実は何も変わってないし、何も得てないじゃん」
そこが勘違いしてしまうところだなぁって。
何をしようと(しまいと)、何を得ようと(得まいと)、
それに関係なく『しあわせ』になれたよ。
『しあわせ』って、その「状態」のことだよなぁって。
でも、そんな体験をしても、
毎回思い直すんですよね。
「そんな一瞬でなれるものなど本当の『しあわせ』ではない」って。
これが一つ目の勘違い。
「高尚なものは苦労して手に入れたもののはずだ」って。
ドーパミン系とセロトニン系が一緒くたになってる
『しあわせ』を感じているときって、
ざっくり科学的にいうと、
(「お前が言うな」はごもっともです。私の体感です。)
「ドーパミン」系か「セロトニン」系が多めの状態。
ホルモンのバランスの状態。
ドーパミンは「もっともっと」
もっと多く(少なく)
もっと大きく(小さく)
もっと美味しく
もっと強く
もっと、もっと
中毒性のあるドーパミン系
キリがないw
お金持ちになっても、
何かの拍子で、全て失ってしまうことも
一瞬で積上げたものが崩れ去る世界
・予期せぬ自分の失言・失態
・部下・組織など自分以外の影響
・もっと大きな、災害や人災
「これが俺の求めてた『しあわせ』か」
持続性・穏やかなセロトニン系
セロトニンは「静かで穏やか」
今この状態で
「しあわせ」なんだ。
「安心なんだ」って。
どっちが良いか?
『しあわせ』を追っかけるってのは、
「ドーパミン」か「セロトニン」を追っかけてるってこと。
大ざっぱにいうと、人生これしかやってないw
一緒くたになってるけど、
分けた方が良いと思った。
ドーパミン系で『しあわせ』にたどり着けるのは、
・たった一人か
・途中で妥協した人
だって、もっともっとの「競争」の世界だもん。
1位は一人。
2位以下は必ず「負け」が有るし、もっと「上」が有る。
(「競馬の世界」も1位だけが「勝ち」」。2位以下は「負け」とされる)
それだと、「妥協=しあわせ」ってなる。
私の『しあわせ』はこんなもん。
ここが私のしあわせ。
これが『しあわせ』か?
追うならやっぱり
「セロトニン系」が良さそう。
ドーパミンもセロトニンも超えた世界
もっと言えば、
セロトニン系のしあわせだろうが、
ドーパミン系のしあわせだろうが、
関係ない世界がある。
夢中を体験するとそうなる
何にも無くなるから。
無くなるというのは、すべて。
「私」も。
「私」=認知する人。見ている人
評価している、比較している、レッテルを貼っている人
何も認知しない世界
感情が良いも悪いもない
だから、ドーパミンもセロトニンも追っかけない
「それ(そこ)じゃない」感
「今まで問題だと思っていたものが、実は問題ではなかった」感。
ドーパミンじゃなかった。
セロトニンでもなかった。
正しい世界が見えないから、苦しみが産まれると思っていて、
こういう抽象思考できるときに、正しい世界が見えてくる。
夢中になると抽象思考できる。
いや、「してしまう」が正しい。
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