こんにちは、ハチ@夢中です。
『縁起』とは、
「すべてのことは関係性で成り立っている」ということ。
「関係性」はゆらゆら揺らぎ続けている捕まえようのない「不確かなもの」。
ただ、「関係性がある」という、それだけが疑いようのないこと。
と、私は解釈していますが、
正直、仏教徒でもないし、難しいお勉強をしたことがないので、突っ込んだ話はこれ以上できません。
ですが、
もう『縁起』を起点にしていけば良いんではないかと思うのが、今の実感です。
そういう風にものごとの現象が起きていると、あとから分かることが多いんです。
このままの自分で良いんだ!
ものごとの要因・原因・結果なんて、自分が意図できるものでは到底ない。
自分以外のもっと大きくて、多数のものが、複雑に絡み合って、それぞれが変化し続けている関係性で、一瞬だけ起こるのが現象。
ほとんどがそんな不確かなものだということ。
積み上げたものが一瞬で崩れ去ってしまう、残酷で不平等で不合理な世界。
何がいつどうなってこうなったか?というのは、要因・原因は、分かんないってことです。
結局、自分が出来ることなんて、今出来ることしかないなって。
どうせなら夢中になろうと。
「このままの自分で良いんだ」というより、
「このままの自分で居ることしか出来ない」の方が近いかな。
出来ないことは「縁」がないこと
生きてると、無理難題を課せられることが多々ある。
それは、ピラミッド構造がそうさせてるふしがある。
上司や経営者は、社員に毎日全力を出させる方が効率的。
決まった月給なら、絶対そうだ。
やれることは2択で、
・そこから抜け出す方法を探るか、
・その構造の中で上手くやり過ごすか、だ。
ピラミッド構造から抜け出せず、
無理難題が目の前に突き付けられたとき、
あんまりそこで悩まない方が良い。
どうせ今出来ないことは出来ない。
頑張ってやったところで、
あとからその歪が返ってくることが、世の常だ。
(これは実体験から本当にそう思う。取返しが付かない前に気付くべきだ。)
その難題は、自分とは(今は)縁が遠い、関係性が薄いと思うだけだ。
生まれ持った特性(DNA)というのもある。
ときにはかる~くいなすような演技力も必要だ。
『縁起』は「演技」だ。
そこにエネルギーを割かない。
「やるべきこと」「やれること」に向けるだけだ。
いや、どうせそれしかできないんだから。
もう迷わない
どうせ全部、「縁」なので、
どうしたら良いか、何をやったら望む結果が出るか、
迷わない。
いくつかそれっぽい候補を上げたら、
その中から、
「ど~れ~に~し~よ~お~か~な」で良いんだ。
不思議とエネルギーが出る(?)
そんな全部自分以外のせいにして、何にもしなくても良いとかなっちゃうんじゃないかと思われるかもしれませんが、
私は不思議とエネルギーが出てきました。
出てきたというのは不正確で、
「あれ?いつからそこに居た?」
「もしかして、ずっとそこに居た?」
という感じです。
気付いただけ、というか。
私のように、今まで、
何かものごとには要因があるはずだと、
がんじがらめに縛られて動けなくなっている人には、
『縁起』を起点にするということは、
良いんじゃないかと思います。
思考停止?
結局それって、完全に「思考停止」しろってこと?
と思われるかもしれないけど、
私としては、
ちゃんと「正しい世界」からものごとを見ている感じです。
どんだけ思考しても、絶対に分からない領域がある、と。
「思考停止だ!」と言う人は、
前提で、「考えて分からないことはない」
ってところからスタートしてる気がする。
そこの違いで、
もしかしたら、
そういう、考えたらなんでも分かる、頭がすっごく良い人がいるのかもしれないけど、
自分はそうじゃないってことは確かなんですね。
世界観は人それぞれで、
その人ごとに正しい世界観があるのではないでしょうか。
私には「考えても分からないことがある」のが疑いようのない正しい(私の)世界観です。
で、
「人それぞれの世界観」と「絶対に疑いようのない正しい世界」があって、
後者の方は、『縁起』だということです。
ここを忘れて生きてるから、世界観にズレがあり、苦しみが生まれるんだと。
「あれ?思ってたのと違うなぁ」と。
「正しい世界」は隠されていません。いつでもオープンです。
先人がオープンにしてくれてました。
感謝。