オシムは得点者よりも、囮になった選手を褒める

オシムは得点者よりも、囮になった選手を褒める

こんにちは、ハチ@夢中です。

オシム氏については、この記事でも紹介したのですが、
あまりにも感心するエピソードが多くて
いつもその一つに出会うたびに、深い感動をもらえます。

 

オシム氏は、
「サッカーをやらなければ、数学の先生になっていただろう」
と言うように、知的な人です。

 

目的があって、そのためにはこうするんだ。
という、聞けば誰もが納得する論理的な答えを
いつも教えてくれます。

 

聞けば誰もが「あー確かに!そうだ!」と思う答えを。

 

実際、結果が出てますからますますオシム氏に心頭する。

 

今回は、そんなオシム氏のエピソードの一つで、
『得点者を褒める前に、その囮(おとり)になった選手を褒める』というのがあります。

 

オシムは得点者よりも、囮になった選手を褒める

普通、TVの報道でも、新聞やサッカー雑誌でも、
まず目を惹くのが「得点者」、「誰が何点取ったか」ですよね。

 

得点はサッカーの一番の華ですから。

 

ですがオシム氏は、そこは一番には見ていません。

 

オシム氏は、
「得点を決めた選手」ではなく、まず「囮になった選手」を褒めるのだそうです。

 

そうすると、褒められた選手は、

「ちゃんとオレのことを見てくれてる」
「チームのために走ったこのプレーを評価してくれてる」

となり、ますますチームプレーとして最善の選択肢を取るようになる。

 

だからチームは強くなる。

 

逆に、得点を取った選手が最も評価されるシステムでは、

一人一人がエゴで点を取ろうとしてたら、
せっかくいる11人はバラバラで、
チームとしての強みはまったく無くなってしまいます。

 

これって凄いことだなと思いました。

 

たった一つチーム内のルールを決めることで、
細かいことではなく、大局を見定めてコレって決めたルール。

 

プレーの細部がどうとかよりも、まず方向性を決めるということ。

 

オシム氏の記事や動画を見ていても、
確かにプレーの詳細を指導している姿は見たことがありません。

私だけかもしれないけど、、、
(あっ、でも確か指導を受けた選手で、自由にプレーさせてくれると言う選手もいたのを思い出しました!)

 

考えて走れ

オシム氏の指導でよく聞くことで、『考えて走れ』ってのがあります。

 

でも、何を考えるか、どう走るか、何を判断するか、

それはその瞬間お前たち選手がやれ!
だって、その瞬間の状況を認知できるのは選手だけなんだから。

ってことなんですかね?

私はそういう意味で捉えてます。

 

小さな利を得て、大きな利を逃してる

たとえば、一つのチームではなく、もう少し話を拡げて、
サッカー界とかサッカー人気という話をすると、

 

メディアがいつも真っ先に見出しで「得点者」の情報を出すのは分からなくもないですが、各社競争ですから。目の前のサッカーに関心を持った読者を惹きつけようとするのは当然です。

でも、結局みんなそこに目がいって、選手も「得点しないと評価されない」ってなって、日本チームとしては弱くなって、、、

 

でもオシム氏のような哲学を、『まず囮になった選手を褒める』を日本のメディアやサッカー協会などがグルになって(←言い方悪いけど)徹底したら、

観戦する人たちの目は肥えて、選手はチームプレーを優先するようになり、日本チームは強くなり世界の強豪と渡り合える白熱した熱戦を大舞台で観れるようになったら、

サッカー人気が盛り上がって、結果メディアにも利益が還元されるようになるのではないでしょうか。

 

どうも今は「小さな利を得て、大きな利を逃してる」気がするんですが~。

 

サッカーの先端を行くヨーロッパは、そんな日本のサッカー界を観て、日本やアジアはまだこっち側には来ないな、と確信してるかもしれませんよ~

 

私個人にも言えること

とにかくこれって、サッカーに限った話ではないなと。

個別具体なことをどんだけたくさん練習するよりも、
まず大局を観て、
「要するにコレ!」って一つ最適なルールを決めた方が、影響力は大きいのですよね。

 

もちろんオシム氏のような鋭い観察眼を誰もが持っているわけではないけど、

少なくともそういうことを思い付く瞬間っていうのは誰にでも経験があるのではないかと思います。

 

個人的にも思うところが多くあって、

そもそも「問題すら観えてないな」って思います。

 

問題に埋もれちゃって、巻き込まれてて、身動きがとれなくなってる状況で観えるわけないなと。

 

「問題が何か」をちゃんと観るには、問題の外に出ないと観れないのではないか、ということを思うわけです。

 

市長は市の問題が観えない。市の問題が見えるのは県知事。

県知事は県の問題は観えない。

~総理大臣には日本の問題は観えない。

~人間には地球の問題は観えない。

観えるのは宇宙人。みたいなw

 

「立場」の話しではなく、「意識の状態」の話しです。

 

私の経験では、「夢中」になった直後、「我に帰った」ときに、そんな体感・体験が多いです。

とにかく「思い付く」ってことが多いです。

 

「これって結局こういうことなんだよな!」って。

これが「抽象思考」と言われるものなんだろうなぁって。

 

大局が観えた感があります。

アハ体験のような快感もあります。

今まで問題だと思っていたことが、そもそも問題ですら無かった。なんてこともあります。

 

だから、グルグル思考が止まります。

気分はスッキリして、

結局これをやってりゃいいんだなってなります。

 

「夢中」はそのきっかけになります。

 

「夢中」の唯一の弱点は、夢中になってる最中は大局を観れないことです。

>>夢中の唯一の弱点

 

大局が観れるのは夢中から「我に帰った」ときです。

夢中になってるときは大局が見えません。

 

だから夢中の外に出たら、大局を見て、
何に夢中になるかを決めなければならないのです。

 

人生にも戦略(ルール)をバシンってコレだよ!って一つ決めることも良いのかなぁと。

 

私にとってそれは、『自分にとって「縁」が近いことだけをする』です。

あまりにも「縁」の遠いことをやっても、成長しづらいし、影響を及ぼさないし、そもそも説得力が無いですから。

 

亡くなってもなお影響力を及ぼし続ける存在

しかし、なんでこんなにオシム氏の言動は、人を惹きつけてしまうのでしょうか。

 

私は特にサッカーをやっていたわけでもないけど、そんな私でさえオシム氏に惹かれます。

 

どうしても、サッカーだけの視点ではない、もっと「人間とは?」「この世界とは?」というような大局で見ている人だからこそ、ああいう言動になるのではないかと思うのであります。

 

それと、これは私の妄想ですが、、、

 

オシム氏は普段あまり人を褒めないとのことです。

だからこそ、たまに良いプレーをした選手を褒めると、選手は本当に嬉しく感じてしまうとのこと。

 

こういう普段から「褒めない」とか、「無口であまりしゃべらない」とか、全部分かって演じてたんじゃないだろうか、と想像すると、オシム氏の凄みをより感じてしまうのです。

 

すべて大局で観れてて、その中で自分の役割を演じているような。。。

 

随所にそんなエピソードがあるからです。

 

とにかくオシム氏が率いたチームは魅力的です。

たった1試合の「勝った負けた」を超えて、「このチームは次にどういうサッカーを魅せてくれるんだろう」というずっと続く物語のような期待感があったのでした。