「みかん集中法」というのがある。
頭の斜め後ろに、
イメージのみかんをポカンと浮かべる、
というものだ。
この”みかん”に
意識のうちのいくらかを配分する。
その状態で勉強なり、作業なりをするときに、
集中できるという方法だ。
意識を保ち続けるためには、
みかんを
ありありとイメージしなければならない。
イメージをありありと、、、
大きさ、色、形、重さ、固さ、香り、質感、触り心地は?、、、
さらに、
産地、産地の環境、採れた時期、誰が獲った?育てた?育成期間は?本体の木はどんな?、、、
もっと、
そこからどうやって運ばれてきた?飛行機?トラック?列車?渡り継いだ?どんな人が係わった?ストーリー、、、
そうやって、その”みかん”をどんどん明るみにしていく。
「みかん集中法」と「大いなる存在」の共通点!?
ちょっとまって、
これって「大いなる存在」を創る作業と同じじゃね?
みかん=「大いなる存在」なんだ!
みかんのほうが実体があって、
イメージしやすいというのはあるけど、、、
だから少し時間はかかる。
あるのかないのかわからないものを、
実体化しようとするのだから。
全部自分で決めていい、自由だ!
信じられないなら、
昔に、「軟その法」っていう
イメージを使った心身回復法がある。
「軟その法」ってのは、、、
えぇい、書くのが面倒だ!
ググってくれぇい…
そういう事例が他にもあるはずだ。
私が知らないだけで。
共通してるのは、、、
「そこに”リアル”はあるんか?」
ってこと。
「集中法」ならみかん、
「心身回復」なら軟そ、
「完全無欠の安心感」なら「大いなる存在」だ。
適材適所で選択する。
このとき「思考」は止まってる。
イメージが難しいから、
『超シンプルな…』を読むんだ。
そこに「大いなる存在」がどんなものか書かれてる。
何度も何度も。
自分でゼロからイメージするより簡単でしょ。
読むのに疲れたら、聴けばいい。
スマホでもICレコーダーにでも録音して。
だから『超シンプルな…』は「実践の書」なんだ。
完全に本に浸っちゃえばいいんだ。
このとき「思考」は止まってる。