「さとり」と言ってしまったら、それはもう「ことば」なので、
人それぞれの”さとり”がある。
私にとっての”さとり”の位置づけをハッキリしておこうと思う。
始まりは、この本から。。。
『超シンプルなさとり方』
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ここで勝手に感動し、勝手に”さとり”を解釈した。
本のレビューはここで。
私にとっての”さとり”の位置づけ
大前提。
“ここ” を「超えることはしない」し、もしも越えるようなことがあったら、それはもう、ここでいう私の”さとり”ではない。
ちょうど、分かり易く、的確に表現している文章があったので、引用させてもらう。
彼らはただ、もっと生きやすくなるなるための方法を、仕事や私生活で自分自身のこころが抱えるストレスへの対処法を見つけたかっただけです。
子供のころのような解放感を取り戻し、生きていることの素晴らしさを感じたかったのです。
さとりを開きたかったわけでも、セラピーを求めていたわけでもありません。
ただ仕事から帰って気分を切り替える方法を、夜ぐっすり眠る方法を、人間関係を改善する方法を、不安や悲しみや怒りをやわらげる方法を知りたかっただけです。
欲をコントロールし、弱い癖を断ち、人生の展望が開ける方法を知りたがっていたのです。
何よりも、すべてが在るべき状態にないのではないか、今よりもっといい人生があるのではないかという、拭い去れない思いをどうすればいいのか、それを知りたがっていたのです。
『頭を「空っぽ」にするレッスン』本文より引用
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とはいえ、、、
また、解釈が変わったら、付け足すか、書き直すかすると思う。。。
大前提すら変えてしまえるという、、、
「矛盾」なんてものともしないぜ!