”さとり”は「知識」や「理解」から至ることは可能か?
やっぱり「体感」なのか?
ただやってればいいのか?
個人的な妄想・期待とか。。。揺れ動き
知識で “さとり” は理解できても、”さとってはいない”!?
「頭で理解できる類のものではない…」『超シンプルなさとり方』より
いや、出来そうだぞ!
『超シンプルなさとり方』と『無=最高の状態』を読んでいれば。
『超シンプルなさとり方』は、
大枠。既に”さとった人”側から観た景色(こころの在りよう)を「疑似体験」できるもの。
『無=最高の状態』は、
科学的な種明かし。『超シンプルなさとり方』の分解、科学的根拠、順序づけ、理解の助け。
真実なら確実に証拠があるはずだ。
たとえば、「わたし」と「時間」については、積極的に情報を仕入れて、明らかにしていくのが良さそうだ。
もっとも影響力が大きいのに、誤解されているものだから。
本を読んでて、「そうか、そういうことか!」で一気に ”晴れる” ときがある。
言葉の粒度が細かいと、脳が混乱しにくくなる。それだけ状況を細かく認知、分別出来ているということ。
なんかよく分からず、モヤモヤしてるのが「うつ病」。
瞑想の危険
「知識」は、「心身不調」や「魔境」に入らないためにも必要だな。
いや、必須だな。
自我の肥大した状態を「魔境」、精神に何らかの異変が出る現象を「禅病」と名付け、修行者に注意を促してきました。
『無=最高の状態』本文内より
モチベーション維持の観点から
到底先が見えない初心者にありがちな心理「やっぱ駄目なんじゃないか…」というときに、「科学的知見」や「論理」が引き戻してくれる。
▶参考記事 「920時間」で ”一生もの” が手に入る!?
誰かに指摘されたときに、「あれ?私の思い違いだったのかな?」とならないように、そこで一気に崩れないように。
脳が整理されてると、「今、ここ」に入り易い(実感)。「安心」がある。「安心」は土台。論理を固めることも大事だな。