「自分の問題」だけを解決してればいい【超利己的】

「自分の問題」だけを解決してればいい【超利己的】

自分と関係ない、外の問題ばっか扱ってて、何も自分に残らなった。。。(´;ω;`)ウゥゥ

 

「相手の気持ち」が分かるんじゃない。

その状況になったときに、「自分の気持ち」が “どうか” を感じれるだけ。

分かるのは常に “自分はどうか”

 

自分の中に、その体験(データ)が無かったら、分からない。

だから、本(小説)や映画を観るんだ。

 

「個人個人を尊重するべき」…違うな。。。

尊重するのは「理」。

絶対普遍の真理。

 

「理」と、「偏った自分の認知」とのギャップを解消する。

 

もしも「他人を尊重する」なら、まず自分の中の矛盾や問題点を解消してから。

自分の問題が解決すれば、同時に他人のも解決する。

そしたら他人を尊重 “してしまう” 勝手に。。。

 

自分の問題も解決しないで、外ばっか見てる。。。

自分の中に「矛盾」が生じたまま、誰かの問題を解決しようなんて、おこがましすぎる。

「自己」を解決すれば、すべて解決するのに。

余力が出たら、少しづつ外へ拡げていけばいい。

っていうか、勝手に認知が拡がっていくので、抱える問題もそれに伴って増えていくもの。

 

自分の許容範囲を超えてやるから、、、

人を巻き込んで、迷惑かけてしまったり、、、

責任とれんのか?

 

徐々に許容範囲を拡げていく

 

得た知識をつかっても、間違えてしまったり、至らなかったり…

迷惑かけてしまったり、、、

責任がもてる範囲は、「自分の認知」”のみ”

 

余力を増す

『超利己的』に自分の「ほんとうの欲求」だけを追求していく。

持て余したもので、外に影響を及ぼす。

 

余力が無いなら、ずーっと自分に向いてろ

貯まって、溢れてくるまで。

余力で動いてたら、疲れることはない。

 

おい「科学」!そういうとこだぞ、

自分の「嗅覚」に重きを置くべきだった。。。

 

それでも生きてる限り迷惑はかけてしまうもの

食べるし、うんこするし。。。

 

迷惑は最小にする

 

「迷惑なんてかけてない」と思ってしまうのは、

認知できてないだけ。

認知してしまったら、とてもとても出来ない、、、

 

自分も「人間」。他人も「人間」。

自分の「問題」は誰かの「問題」。

結局、誰かの問題を解決してることになる。

 

「他者を愛す」も、ごく利己的でしかありえない。

自分に「愛したい」という欲求が湧いて、それを満たす以外できない。

 

認知が密になると、理解が多くなるので、「○○はこうだ!」なんて言えなくなる。

ましてや、他人に対して、無責任に、「○○すべき」なんて、、、

 

「分からない」というのが本当なのに。

認知できてない部分が大半なのに。。。

 

自分の問題だけに注力せざるを得なくなる

 

たぶん「足つぼ」も、ひとそれぞれだと思う。。。

画像検索したけど、自分の実感とは違う。

 

皆違ってみんないい。

 

大切なのは、「自分はどうか?」を知ってること、知れること。

自分を知れば、他人の反応を見て、なんかできたりする(?)

まず自分から。

 

ただいま『夢中で在りたい』コンテンツを作成中。

どうすれば「夢中で在れるか?」、そんな観点から書いてます。 日々、内容を充実させてます。 頭に「#」タグが付いてる記事がそれです。 (自分が到達できなくても、誰かのヒント…いや、ネタの一つにでもなったら嬉しい。。)