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上手くいったのは、「テクニック」や得た「知識」を使ったからではない
そう思うのは、「後付けの理由」であって、”そう思いたい” から。
思いたいように思ってしまう。
上手くいったのは、たまたま。
逆に、上手くいかなかったら、「このテクニック(知識)は使えない」、「自分には合わなかった」…と思うはず。
なんで○○したんですか?
分からないけど、、、自分の中のいろんな『縁』がマッチしたんだろうな。。。
メカニズムは分からなくても、『在ること』を優先する。
そのメカニズムは分からなくても、「そうであること」がより良い状態であるなら、
『在ること』を優先する。
何にでも理由があると思うな
いや、あるんだろうけど、
その要因の「繋がり」「重要度」「影響量」は、常に変化している。
事象が起こったあとに、それを分析しても、すでに状況は変わってしまっている。
正確にとれる情報は「今だけ」。
今をおろそかにしない。
「なんか違うな…」を大事に。
「直感」を無視して失敗した。
学部・学科を選択するときも、就職先を選択するときも、得体のしれない「暗さ」のようなものが確かにあった。
「明るさ(のようなもの)」を感じる方へと進んでたらいい。
「なんか違うな…」を大事に。
『縁』があるものは、勝手に「認知」が湧いてくる
「アイデア」、「問題点」、「解決方法」など…
やってはダメだ。と思うとやってしまう法則
認知するからだ。
見たらやりたくなってしまう。
ケ~さつ官の不正が無くならないのも、犯罪を目にする機会が多いから
やりたくなるのに理由なんかない
理性で止めようとすると、より増幅する
認知を外せば、無くなる
抵抗・反発すれば、より強固になって返ってくる
「考え方」なんてものはある一人の認知のことで、
後付けで浮かんできた ”あぶく銭” のようなもの。
ここに書いてることも全部後付け。
この記事も、このブログも。。。
( ゚д゚)ハッ!「あっ!そういうことかぁ」