「予定」とか「計画」とか…「クソ食らえ!」
『今だけ』
「未来」なんてない!
。。って言いたい。。
- 1. 「今ここ」に在るなら、、
- 2. 「今ここ」に “居ない” と、、、
- 3. 「今ここ」に在るために。。
- 3.1. その行動が何に繋がるか、なんて考えても無駄。
- 3.2. 『今在る』ことだけで「良し(OK)」として、それ以外は「おまけ」とする。
- 3.3. 「過去を振り返る」よりも、今の『在り方』をどうにかする。
- 3.4. 「結果」から学ぶ
- 3.5. いくらメモや記録を見返しても、「実感」を再現するのは難しい
- 3.6. 『体感』は「一時情報」。
- 3.7. 「気を遣う」より、「気が付く」人になる
- 3.8. 思考・感情・感覚・行動・現象、、、すべては今、どう『在るか』に気付くための道具でしかない。
- 3.9. “息が上がるほど” の「運動」。身体的に疲れ果てたとき…
- 3.10. 「人生」を “密で濃いー” ものにしたいなら、
「今ここ」に在るなら、、
なにがあっても、 『今ここ』に “夢中で在る” なら、
絶望などしない。
「夢中」で在るとき、「不足は無い」。
「不足が在るか無いか」すら、そんな概念すら無い。
だって、「不足」かどうか、それを認知する「わたし」が居ないのだから。(#わたし・自我)
「 “無我” 夢中」っていうだろ。
「好きな場所はどこですか?」って聞かれたら、、、
「 “今わたしがいる” この場所です。」って言いたい。
「好き」も「嫌い」も “変化するもの” だから。。
『今ここ』いると、オッチョコチョイになる?
最初はミスをする。
「思考しない」 “在り方” だから。
なんでも最初はそう。
慣れるまでは、、、
でも間違ってない、「方向」は。(#意識の向き)
1勝9敗でも勝つ!
「我が人生に一遍の悔いなし」
これが毎瞬起こってる、、、『今に在る』状態。
なんで危険を冒して山に登るのか?
完全に『今ここ』に在るしか選択肢がない状況。
生きてる実感が強い、生命の喜びを感じてしまうから?
危険な「山」にこだわるのは、、、自我か。
しかも、人間が登れるか登れないかの丁度『緊張・拮抗点』。(#緊張・拮抗)
命を懸けた究極のゲーム。
「今ここ」に “居ない” と、、、
食事中、箸から食べ物を落とした
今に居ないからだ。
親戚のおばちゃんが、転んで手首を骨折した。
今に居ないからだ。
原因はすべて「今にいない」こと。
「今ここ」に居ないと「問題」が増えていく。。
・箸から食べものを落とした、、、→片付け
・転んで手首折った、、、→通院
お前は「タイムマシン」か?ww
今に居ない、、、
「未来」や「過去」に飛んでたか?(#「時間」は存在しない)
世界はいつも正しく回っている。
これまでも、これからも。
体調が悪いからって、「何でだ?」とは思わない。
自分の「意思」とは関係なく、『縁』は繋がったり、離れたりを繰り返してる。
「結果」は自分の「意思」とは、ほぼ “無関係” で決まる。
無理に笑ったり、強がりを言ったり…
どれも偏り。
今に居ない。
♪ 無理に 笑うのよせ
『SIDE BY SIDE』吉井和哉
“そこ” で「満足できなければ」、”どこでも” 「満足できない」で一生終わる
何をやっても、上手くいかないのは、、、
「最適解」ですら、 “揺れ動いてる” から(#ゆらぎ)
そして、「自分」が “偏ってる” から(#偏り)
「自分」は止まって、ちゃんと「今」を観る。(#止まる)(#観る)
その瞬間々々の「ベター or ベスト」を選択しないと。。
「今ここ」に在るために。。
その行動が何に繋がるか、なんて考えても無駄。
自分の意思とは無関係に『縁』は繋がってしまう。
頑張ってどーにかなることって、ほとんどない…という事実。。
もっと大きな「ワケワカランモン」が要因であることが多い。。
『今在る』ことだけで「良し(OK)」として、それ以外は「おまけ」とする。
“そうあろう” と思っても、色んな要因によって、それは「妨害」される。
「外界の現象」だったり、それに反応する「思考」・「感情」・「感覚」だったり、、、
初めのうちは、それらに左右されてしまう。
だから、「健康」など、今、自分で出来ることはやっておく。
すべては『今に在る』ために。
「過去を振り返る」よりも、今の『在り方』をどうにかする。
どこで意識が「わたし」以外に行ってしまったのだろう?またやってしまった…(←ハイ!コレ「二の矢」)
そんなのはどーだっていい。今だ!今だけ!(#「時間」は存在しない)
今に『在らなかった』結果が現れてる。
「過去を振り返る」よりも、今の『在り方』をどうにかする。(#『在り方』(在りよう))
「結果」から学ぶ
それが最早。
『起きたことが正しい』
推測・予想、、、一生やってろw
何をしたら自分の「思考・感情・感覚・外界」がどう変化したか、
メモや記録を録る。
いくらメモや記録を見返しても、「実感」を再現するのは難しい
そのときその瞬間の体感が密でなかったら…
だからこそ「今ここ」でその瞬間を味わってなかったらダメなんだ。
『体感』は「一時情報」。
もっとも信用できる情報源。
「知識」よりも『リアリティ』を感じる。
「気を遣う」より、「気が付く」人になる
まさに『今ここ』。
「今ここ」に “居ない” と、「気が付けない」。
「気を遣う」とは、意識が外に “偏重” している状態。(#意識の向き)
今、この瞬間の情報を取り逃がしてしまってる、、、
今にいない。
思考・感情・感覚・行動・現象、、、すべては今、どう『在るか』に気付くための道具でしかない。
字が上手く書けるとき、書けないとき、、、
感情が良くないから、上手く書けない。。。
違う!何か一つの要因では決まらない。
“息が上がるほど” の「運動」。身体的に疲れ果てたとき…
このとき、「今ここ」にいるしかない。
強烈な「苦しみ」に向き合わざるを得ない。
過去や未来には行けない。(#「時間」は存在しない)
・山登り
・高熱で寝込んだあとスッキリする
小さなことはどーでも良くなってる
「小さなことにクヨクヨするな」ではない。
因果が逆なんだ。(#因果が逆)
しなくなってしまうんだ。
これが “頭で理解” しても、変わらない。
運動の限界。
肉体の物理的限界。
高負荷にも限度があるし、
長時間出来ない。
「慣れ」てしまっては、ただの筋トレになってしまう…(#慣れ)
「人生」を “密で濃いー” ものにしたいなら、
「認知を密」にして、 “今この瞬間だけ” に生きる!(#認知の密度)