#認知の盲点

#認知の盲点

見えてないことがある。忘れていることがある。

「認知の盲点」のせいで、イライラしたり、あんなことしてしまったり、落ち込んだり、、、

 

認知が及ばないから、怒る・悲しむ。その他感情が揺れる。

「想定外だ!」「なんで俺が?!」「あり得ないことが起こった」

ワ―、ギャー騒ぐな。お前の認知が甘かったんだ。

あり得たから起こったんだ。いつも世界は正しく回ってる。

 

でも、「何か気付いてないことがあるんじゃないか?」と常に探し回ってる状態は、良くない。

いつも「不足」を抱えてることになる。

 

正解は、認知の網目を密にして待つ。

それにはぜんぶ捨てる。そうすれば認知は密になる。

 

「選択肢」が閉ざされたとき、人は「絶望」する

「選択肢」が有る(見出だせる)なら、ずっと進める。

 

「希望」っていうのは、「選択肢」のこと

選択肢が “複数” 有れば、もう何も怖くない。

 

“可能性が見えてない状態” だということ。

“状態” は一時的。変えられる。

 

勘違いしてるのは、「環境や状況」(外)を変えようとすること。

変えるのはいつでも「状態」(内)だ。

 

(外)は変わんねぇから、簡単には。

変わったとしても、新たな歪みがまた「問題」を生むから、結局どこかで違う形をして “返ってくる” 。

 

「認知が及ばないこと」=「あり得ないこと」、として “無視する” から「ダメ」なんだ。

「そこ」こそ問題として扱うべきもの。

これが隠されているトラップ。

見えないように巧妙に仕組まれた。

 

素人が何言ってんだとか、苦しい修行もしてないで、実績は?とか …

ド素人だからこそ、観えるものがある。

玄人になればなるほど視野が狭くなるもの。

 

初心者、素人だからって、口篭らないで、自分が確かにそう思ったのなら、どうどうと言えばいい。

認知は人それぞれなのだから。

「これが自分の答えです!」って。

 

100人中1人でも聞いてくれるなら、

(1億人中の100万人)それは「ミリオンセラー」だ。

 

「サイレント・マジョリティ」(もの言わぬ大衆)がいる

これを認知してるか、してないかは、大きい!

「データ」、「数字」では表せられないけど、影響大。

この存在を無視しない。

 

居る、必ずいると、心に留めとく。

安心感が違う。

 

たった一人に何か言われても…全然大丈夫。

 

全員の声を聞いてたら、何もできない

説明するのもメンドクサイし、理解してもらえないだろう。

理解はおろか、聞いてもくれない。

それよりずっと前に、「好き・嫌い」があるから。。。

 

「たまたま」の可能性もある

嫌なアイツも、

たまたまそういう環境で生まれ育ち、

たまたまそんな思考グセがあり、

たまたまそういう趣味趣向で、

たまたまその時アレやってしまった…

 

もし、自分がアイツで、あの状況だったら、、、絶対にアレはやらなかった、、、とは言えない。

そう思うと、人は憎めない。

〇〇を憎んで、人を憎まずってやつだな。

 

バカは風邪をひかない

ヒマラヤにいる聖者は、毎日坐り続ける。

100歳を超えて死ぬ。

遺体を調べると、全身にガンが転移しているという。

認知を外せば、ガンすらも共存できるのでは?

「バカは風邪をひかない」も、あながち、、、

 

車を運転すれば必ず何かを轢いている

虫を踏んでる

 

手放すと認知の偏りが解放されるから、

さっきまでの自分では到底思いも付かなかったことが、降ってくる。

「あーそうか!(解決)」

 

『在り方』が変わったんだ。

 

何があっても「世界は正しく動いてる」というのは、そう”思い込もう” ではない。

圧倒的真実だ。

なかなかそう観れない「人間の認知」の方がおかしいんだ。

 

世界を正しく観ないから、そのギャップが「苦しみ」や「問題」なんだ。

全部人間が創り出してるんだ。

 

この世界は「平和」だ、「ハッピー」だと ”無理やり思い込む” のもまたおかしい。

そういう奴がいるから、不幸のどん底に居る人が存在してしまうんだ。

愛すれば、愛さないが生まれるのと同じで、

 

残酷と平和の引っ張り合い、、、その拮抗点を探せ・居ろ。偏るな。

残酷も平和も包含しろ。偏るな。無視するな。受け入れろ。

 

♪時の流れと 空の色に なにも望みはしないように

『幸福論』椎名林檎

 

そしたらスッと動けるようになるはず。次何しようって。

 

ほんとうに演奏が上手い人は、1,980円の楽器でも聴かせる音を出せる人だ。

“聴かせる音” が何たるかを知っている。

「楽器 “だけ”」 では決まらないと。

 

「高級料亭」はなぜ最高に上手いと感じて ”しまう” のか?

なぜ、「あの芸人」は、ことばだけを取ったら、大して面白いこと言ってないのに、人を笑わせられるのか?

 

たぶん。。。「自分の問題だけを追ってたらいい」の逆、

「他人の問題だけを、、、」でも、たどり着くところは同じ気がする。。。

「私の認知」が “そうなだけ” で。

どこからどう登ろうと、どーでもいい。

 

考えても考えても、想定外のことは起こる

考えても認知は及ばない。

「考えること」自体が、「切り取り」だから。

その時点で ”捨ててる”。。。

 

ただいま『夢中で在りたい』コンテンツを作成中。

どうすれば「夢中で在れるか?」、そんな観点から書いてます。 日々、内容を充実させてます。 頭に「#」タグが付いてる記事がそれです。 (自分が到達できなくても、誰かのヒント…いや、ネタの一つにでもなったら嬉しい。。)