見えてないことがある。忘れていることがある。
「認知の盲点」のせいで、イライラしたり、あんなことしてしまったり、落ち込んだり、、、
- 1. ここにも、あそこにも、あんなところにもある「認知の盲点」。
- 1.1. 「高尚」だと言われるものは、「認知の盲点」を埋めてる
- 1.2. 有名俳優は、あえて “露出をしない期間” をつくることで、その「存在価値」を増す。
- 1.3. 素人が何言ってんだとか、苦しい修行もしてないで、実績は?とか …
- 1.4. 「ニート」が良いか悪いか、、、なんてのは時代とか何かによる。。
- 1.5. たった一度の印象で、、、否定してしまう?
- 1.6. 座ってるとき、ケツが椅子と接触してる感触は常に有るはずなのに…
- 1.7. コメント欄が面白いYou Tubeってのは…
- 1.8. 「大きなこと」を成せば、その “裏” には「大きな犠牲」がある
- 1.9. 野良猫。子供でも容赦なく襲ってくる自然(人間もまた自然)。
- 1.10. 振り返ってみて、それが「手法」だったと分かる
- 1.11. 何かを得てもいないし、失ってもいない
- 1.12. 「サイレント・マジョリティ」(もの言わぬ大衆)がいる
- 1.13. すべての人が肯定してくれるわけでもない。逆に、すべての人が否定する訳はない。
- 1.14. 全員の声を聞いてたら、何もできない
- 1.15. 「ありえない」なんてことはなくて、
- 1.16. 「たまたま」の可能性もある
- 1.17. 「たまたま私は多数派だった。。」
- 1.18. バカは風邪をひかない
- 1.19. 「これは有名な…です」、、、?
- 1.20. 車を運転すれば必ず何かを轢いている
- 1.21. ほんとうに演奏が上手い人は、1,980円の楽器でも聴かせる音を出せる人だ。
- 1.22. 何で、「面白い」と思うのか?人によって違うのか?
- 1.23. 「歴史」も学ぶことが増えていく。やってはいけないことも、どんどん「細分化」されて増えていく、、、
- 1.24. 人間はずっと、「認知の盲点」を満たそうと、し続けている。
- 2. (恐怖)「認知の盲点」があると、、
- 3. 【対処法】「認知の盲点」はどうしても発生してしまう。
- 3.1. 考えても考えても、想定外のことは起こる
- 3.2. 原因は探さない。
- 3.3. 「可能性」が見えるから、「やる気」になる
- 3.4. 「アリエナイこと」は “起こらない”
- 3.5. 「認知が及ばないこと」=「あり得ないこと」、として “無視する” から「ダメ」なんだ。
- 3.6. 「今ここ」に在って、この瞬間の情報を逃すまいとしても、
- 3.7. より考えて「考えて作られたもの」”だけ” が「価値ではない!」
- 3.8. 「さとり」なんてものは、自分の「認知の盲点」が過不足なく埋められたときに起こる “一瞬の現象”
- 3.9. 苦しみを経験したものだけが、問題を解決できる
- 3.10. 「端的に分かり易く、、」、、、?
- 3.11. 尖れ、表わせ、現せ。
- 3.12. 「科学」では、この世界を正しく観れない。表せない。
- 3.13. 手放すと「認知の偏り」が解放されるから、
- 3.14. 盲点が生まれる原因は、、、
- 3.15. 何があっても「世界はいつも正しく動いてる」というのは、そう”思い込もう” ではない。
- 3.16. たぶん。。。「自分の問題だけを追ってたらいい」の逆、
- 3.17. 「変化を楽しもう」…?? #理
- 3.18. 起きたことは全て正しい #理
- 3.19. いつも「自分の認知に盲点があるのではないか?」と自問できるようになればOK。
- 3.20. 人間が、この世界を「破壊」することは可能でも、
- 3.21. 「無意識」は、「 “認知が及んでいない” 領域」のこと。
- 3.22. 他人の認知が、自分に役立つこともある。
- 3.23. 「途方もないものを追ってる」と思うか、「これで一生遊べる」と思うか。
- 3.24. 「隙間」や「盲点」が残ったまま、次へ次へと進むと、、、
ここにも、あそこにも、あんなところにもある「認知の盲点」。
「高尚」だと言われるものは、「認知の盲点」を埋めてる
「芸術」など、、「映画」や「本」などの “作品” と言われるもの。
「盲点をカバーしてる(包含・許容)人」・「盲点が無い人(さとり)」には、”石ころ” となんら変わりない。
「高尚」だと思うのは、ただの「偏り」。(#偏り)
有名俳優は、あえて “露出をしない期間” をつくることで、その「存在価値」を増す。
ガツンと注目を浴びたら、スッと消える。
タイミングを見て、再び姿を現すと…
「認知の盲点」が出来ることで、人々の「興味関心」は勝手に増幅する。
ずっと出続けると飽きられる。
美人は三日で飽きる
素人が何言ってんだとか、苦しい修行もしてないで、実績は?とか …
ド素人だからこそ、観えるものがある。
玄人になればなるほど視野が狭くなるもの。
初心者、素人だからって、口篭らないで、自分が確かにそう思ったのなら、どうどうと言えばいい。
認知は人それぞれなのだから。
「これが自分の答えです!」って。
100人中1人でも聞いてくれるなら、
(1億人中の100万人)それは「ミリオンセラー」だ。
「ニート」が良いか悪いか、、、なんてのは時代とか何かによる。。
「、、、人類の将来に残されているエネルギィは非常に限られていますからね。人間も電子の世界に入らざるをえません。地球環境を守りたいのなら、人は移動すべきではありません。私のように部屋に閉じ籠るべきですね。、、、」
#『すべてがFになる』 p.21 真賀田四季
たった一度の印象で、、、否定してしまう?
大ファンだった岸部露伴に会いにいったら、冷たく追い返された少年。
「岸部露伴はもうダメだ、、」
『岸部露伴は動かない』シーズン3、エピソード2第8話「ジャンケン小僧」
「、、、もうダメだ、、」
あまりにも認知が狭い。
認知に盲点が在ることに気付ければ、「絶望」など決してしない。。
座ってるとき、ケツが椅子と接触してる感触は常に有るはずなのに…
認知に上がらない。
気付かない…
必ず「認知の盲点」が在る
「意識」がより(外)へ向けば、「ケツの感触」は “より気付けなく” なる
「怒り」や「悲しみ」など、「外の事象」によって「意識」が(外)へ向かされたとき。
「意識」を “意識的に” ケツに向けなければ、、、(#意識の向き)
コメント欄が面白いYou Tubeってのは…
一つ一つのコメント自体が面白いのと、
コメントが被ってない。
自分の「認知の盲点」を埋めてくれる。
「大きなこと」を成せば、その “裏” には「大きな犠牲」がある
「競争世界」だから(#競争世界)
子々孫々まで恨まれる。自分の死んだあとも。。
大きな迷惑かけんなよ〜
死んだら影響を及ぼせないだろ~
お前の「許容範囲 “外” 」だ。
「扱う問題」が “大き過ぎ” たんだ。(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。)
『縁』は繋がる
【関連記事】▶ 空海は分かってたんじゃないかなぁ。。「自分の死後、何百年、いや千年を超えてもなお、『影響力』を及ぼす」ことを。
野良猫。子供でも容赦なく襲ってくる自然(人間もまた自然)。
起きたことが正しい。
「正しい」は、「良い悪い」ではない。
理。
そんな残酷な世界から救おうとする人がいるのも自然だし、そう思わない人がいるのもまた自然なこと。
世界はいつも「正しく」動いている。『理』に従って。
振り返ってみて、それが「手法」だったと分かる
「 “自分に都合のいい” 理屈」が、「手法」だ。(【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?)
何かを得てもいないし、失ってもいない
なにかに「失敗」して、いろんなものを失ったとしても、実は「時間」を手に入れてたり…
(【#「時間」は存在しない】~『時間なんて無い』とした方が、辻褄が合うことが多いし、 なにより、自分にとって都合が良い。)
なにかに「成功」し、いろんなものが手に入ったと思っても、実はそれ相当の何かを失ってたり…
気付いてない、認知できてないだけで。。
「成功」とか「失敗」とか、その程度のもの。
どーだっていい。
「サイレント・マジョリティ」(もの言わぬ大衆)がいる
これを認知してるか、してないかは、大きい!
「データ」、「数字」では表せられないけど、影響大。
この存在を無視しない。
居る、必ずいると、心に留めとく。
安心感が違う。(#安心・安全が土台)
たった一人に何か言われても…全然大丈夫。
すべての人が肯定してくれるわけでもない。逆に、すべての人が否定する訳はない。
表せ・現せ「偏り」を!(生きてれば偏る。生きるということは、「偏りを表す」ということ。)
全員の声を聞いてたら、何もできない
説明するのもメンドクサイし、理解してもらえないだろう。
理解はおろか、聞いてもくれない。
それよりずっと前に、「好き・嫌い」があるから。。。(【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。)
「ありえない」なんてことはなくて、
自分の「認知が及んでなかった」だけ。
起きたことがすべて正しい。
「たまたまだった」とか、、、
「たまたま」の可能性もある
嫌なアイツも、
たまたまそういう環境で生まれ育ち、
たまたまそんな思考グセがあり、
たまたまそういう趣味趣向で、
たまたまその時アレやってしまった…
もし、自分がアイツで、あの状況だったら、、、絶対にアレはやらなかった、、、とは言えない。
そう思うと、人は憎めない。
〇〇を憎んで、人を憎まずってやつだな。
「たまたま私は多数派だった。。」
偏った社会
バカは風邪をひかない
ヒマラヤにいる聖者は、毎日坐り続ける。
100歳を超えて死ぬ。
遺体を調べると、全身にガンが転移しているという。
「認知を外せ」ば、ガンすらも共存できるのでは?(#認知を「外す」)
「バカは風邪をひかない」も、あながち、、、
「これは有名な…です」、、、?
「有名な」いる?
印象操作しようとしてるでしょ。
意図してなくても、そうなっちゃうでしょ。
内容だけが重要なのであって、、、
車を運転すれば必ず何かを轢いている
虫を踏んでる
ほんとうに演奏が上手い人は、1,980円の楽器でも聴かせる音を出せる人だ。
“聴かせる音” が何たるかを知っている。
「楽器 “だけ”」 では決まらないと。
「高級料亭」はなぜ最高に上手いと感じて ”しまう” のか?
なぜ、「あの芸人」は、ことばだけを取ったら、大して面白いこと言ってないのに、人を笑わせられるのか?
何で、「面白い」と思うのか?人によって違うのか?
「認知の盲点」を満たされるから。
「一発ギャグ」が面白いのは、最初だけ。
段々、慣れて「面白さ」は薄れてく。(#慣れ)
「面白い」なんてそんなもん。
「歴史」も学ぶことが増えていく。やってはいけないことも、どんどん「細分化」されて増えていく、、、
追いつけない。端折るか。。
盲点が増えていく。穴だらけや!
細分化。。(【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。)
人間はずっと、「認知の盲点」を満たそうと、し続けている。
まだ誰もやってないこと。
知らないことを知りたい。(#ほんとうの欲求)
それ “しか” やってない。
「Kit Kat」が季節限定の○○味を、毎年出すように。。
(恐怖)「認知の盲点」があると、、
認知が及ばないから、怒る・悲しむ。その他感情が揺れる。
「想定外だ!」「なんで俺が?!」「あり得ないことが起こった」
ワ―、ギャー騒ぐな。お前の認知が甘かったんだ。
あり得たから起こったんだ。いつも世界は正しく回ってる。
でも、「何か気付いてないことがあるんじゃないか?」と常に探し回ってる状態は、良くない。
いつも「不足」を抱えてることになる。
正解は、「認知の網目を密」にして待つ。(#認知の密度)
それにはぜんぶ捨てる。そうすれば「認知は密」になる。(#新しい問題解決法)
「選択肢」が閉ざされたとき、人は「絶望」する
「選択肢」が有る(見出だせる)なら、ずっと進める。
「希望」っていうのは、「選択肢」のこと
選択肢が “複数” 有れば、もう何も怖くない。
“可能性が見えてない状態” だということ。
“状態” は一時的。変えられる。(#『在り方』(在りよう))
勘違いしてるのは、「環境や状況」(外)を変えようとすること。
変えるのはいつでも「状態」(内)だ。
(外)は変わんねぇから、簡単には。
変わったとしても、新たな歪みがまた「問題」を生むから、結局どこかで違う形をして “返ってくる” 。
【対処法】「認知の盲点」はどうしても発生してしまう。
考えても考えても、想定外のことは起こる
考えても認知は及ばない。
「考えること」自体が、「切り取り」だから。
その時点で ”捨ててる”。。。
原因は探さない。
どんなに見つかっても、それは原因の “一候補” であって、「原因は無数にある」し、「変化して」いる。
そのとき正解でも、今はどうか。。(【#今に在る】)
それよりも、「不足は無い」と “在れ” 。
そうすれば、その問題自体が “取り扱う必要が無くなる” 。(#新しい問題解決法)
「可能性」が見えるから、「やる気」になる
やっぱ「認知」だわー(#認知の密度)
「アリエナイこと」は “起こらない”
“起こった” ということは、あり得たんだ。
「起こったこと」は “すべて正しい”。
アリエナイことなど無い。
盲目になるな。『認知を密』にしろ。
真実から目を背ける=情報を取り逃がす→上手く生きれない
♪でたらめばかりだって 耳をふさいでいたら なんにも聞こえなくなっちゃうよ
『ハンマー』THE BLUE HERTS
「認知が及ばないこと」=「あり得ないこと」、として “無視する” から「ダメ」なんだ。
「そこ」こそ問題として扱うべきもの。
これが隠されているトラップ。
見えないように巧妙に仕組まれた。
「今ここ」に在って、この瞬間の情報を逃すまいとしても、
「認知の盲点」は発生する。
ブラジルの海上でバタフライが羽ばたくのを知れない・感じれない。
それが “大災害” の「竜巻の要因」になるにもかかわらず、、
「認知の盲点」が無いことなどアリエナイ。
出来るのは、「アリエナイ」ことが在るということを許容することだけ。(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』)
より考えて「考えて作られたもの」”だけ” が「価値ではない!」
その価値観を捨てろ!
たとえば…「考えないバカ」と “価値を下げている” のは、
「考えるのが “得意” なやつ」
意図的に仕組んでいる。
格闘家が、「格闘技の素晴らしさを伝えたい…」も同じ理屈。
(#競争世界)
「さとり」なんてものは、自分の「認知の盲点」が過不足なく埋められたときに起こる “一瞬の現象”
その「盲点」が満たされた瞬間、また “別の” 「盲点」が生まれる、という『しくみ』がある。
「ぼやけてる」っていうのは、良いのかもしれない。
(#観る)
苦しみを経験したものだけが、問題を解決できる
「 “わからない” 苦しみ」は、問題として “認識できない”
苦しみはチャンス
…↑このように、何とでも言えるんだ。 “自分の都合のいいように” …
「端的に分かり易く、、」、、、?
ものごとを「伝える・理解する」のに “都合がいい” が、”正確ではない” 。
たった一言で言い表せると思ってるなら、”むしろ間違い” だ。
ものごとが「点」とするなら、それを表すのは「線」。
「点は線と線が交わる交点」
線は無数にあればあるほど、点が正確に近づく。
「線の “数” 」で行こう!
ていうか “そう” でしかない(事実)。。
尖れ、表わせ、現せ。
「手法」なんて考えなくていい。
“ほんとうに理解” するには、”無数の線” が必要なんだ。
たった一つ “キャッチーな文言” で理解したと “錯覚” してるだけ。
すぐに、、やっぱり「?」、、となる。
尖れ、表わせ、現せ。(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。)
「科学」では、この世界を正しく観れない。表せない。
切取ってるから。
「予期せぬこと」が起こるのは、たいてい、「見過ごしていた存在」、「見えなかった存在」が起こす。
「アリエナイ~」
想定できなかった分、「衝撃」は大きい。
積み上げたものが一瞬にして崩れ去る
「科学的、、」に偏り過ぎてないか?(「科学的」って何なん?なんで100%じゃないんだ?!)
手放すと「認知の偏り」が解放されるから、
さっきまでの自分では到底思いも付かなかったことが、降ってくる。
「あーそうか!(解決)」(#偏り)
『在り方』が変わったんだ。(#『在り方』(在りよう))
盲点が生まれる原因は、、、
好き嫌い、良い悪い、正しい間違い、面白いつまらない、といったジャッジをしないように心がけましょう
『無(最高の状態)』
このせいで「認知が偏り」、『盲点』が生まれる。
(【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。)
何があっても「世界はいつも正しく動いてる」というのは、そう”思い込もう” ではない。
圧倒的真実だ。
なかなかそう観れない「人間の認知」の方がおかしいんだ。
世界を正しく観ないから、そのギャップが「苦しみ」や「問題」なんだ。
全部人間が創り出してるんだ。
この世界は「平和」だ、「ハッピー」だと ”無理やり思い込む” のもまたおかしい。
そういう奴がいるから、不幸のどん底に居る人が存在してしまうんだ。
愛すれば、愛さないが生まれるのと同じで、
残酷と平和の引っ張り合い、、、その拮抗点を探せ・居ろ。偏るな。(#緊張・拮抗)
残酷も平和も包含しろ。偏るな。無視するな。受け入れろ。
♪時の流れと 空の色に なにも望みはしないように
『幸福論』椎名林檎
そしたらスッと動けるようになるはず。次何しようって。
たぶん。。。「自分の問題だけを追ってたらいい」の逆、
「他人の問題だけを、、、」でも、たどり着くところは同じ気がする。。。
「私の認知」が “そうなだけ” で。
“どこから” “どう” 登ろうと、どーでもいい。
「変化を楽しもう」…?? #理
「変化」は理だから、そのまま “許容する” しかない。。
「楽しもう」なんて、「歪んで見てる」証。
起きたことは全て正しい #理
♪ バンと胸を張れ そう グッと足を出せ どんな青いケツでも いいじゃない いざいこう
それが答えだ! まちがいは愛郷 エブリバディ 強引でも不安じゃねぇ
『それが答えだ』ウルフルズ
世界は今も正しく動いている
「ありえない」「あってはならない」、、、(#○○(す)べき)
“おかしい” のは「人間の認知」の方
「認知が及ばない」だけ
その「ギャプ」の分が「苦しみの度合い」
いつも「自分の認知に盲点があるのではないか?」と自問できるようになればOK。
もちろんこの状態は苦しい。
「!」分かった!ときの恍惚感に比べたら、、、(#さとりは一瞬)
でも、この状態が正しい。これがデフォルトであるからこそ、一瞬の「!」がより眩しく感じられるのだ。
そして、自問してる状態でいれば、「!」に達するときも頻繁に訪れる。
なぜなら、「認知が密」な状態だから。
人間が、この世界を「破壊」することは可能でも、
「コントロール」したり、「表し」たりすることは “不可能” だろう、、
「認知」には必ず「盲点」があり、
“見えない部分” が余りに大きいから。
ミクロもマクロも。
「無意識」は、「 “認知が及んでいない” 領域」のこと。
無限小の世界。
他人の認知が、自分に役立つこともある。
私にとって、「二の矢」がそれだ!
「二の矢」を認知してから、動き出した。
逆を言えば、、、
「自分の認知」が「他人の認知の “盲点” 」のこともあるってこと。
「途方もないものを追ってる」と思うか、「これで一生遊べる」と思うか。
『在り方』が変われば、認知が変わる。(#『在り方』(在りよう))
「隙間」や「盲点」が残ったまま、次へ次へと進むと、、、
結局またそこへ戻ってしまう。
一歩づつ・一つづつ埋めていかないと、同じ落とし穴に落ちるのだな。。
「飛び級」は無し!