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正月「休みボケ」
「ぼわぁあ」っとしたところに長時間『在る』と、それがデフォルトになる。
このとき「幸せ」を感じるか?
感じない。
「感じる力」が薄っぺらい。
戻るにも時間がかかる。
逆に、キリッと凛と澄みきったところに長時間『在った』としたら…
環境には適応 “してしまう” もの
だから、 “やってさえいれば” いい。「続けることが大事」とはこのこと。
目安は、、、
続けることが困難なのは、自分にとって、負荷が大き過ぎるから。
適度な「緊張・拮抗点」を探り続けるのがコツ。
ていうかコレが真髄。
なかなかそうは思えない、、、
だから日頃から「訓練」するんだ。
「幸せ」も「○○」だってなんだって。
脳の回路をどうにかして繋ぐ「パズル」なんだ!
自分の身体を知る≒脳を知る
どこか身体を動かせば、脳のどこかが反応してるはず
どこか身体で感じれば、脳のどこかが、、、
脳の「観察する」部位さえ生きてればいいんだ。。。
「意識的に在る」とは、観察するものを選択できる状態
こうやって、「何かを得た」という “感じ” を文章で残してみても、
後で見返したとき、その “感じ” が分からなくなるのはしょっちゅうw
でもそれでいい。それが普通。正常。
感じが「分かる」⇆「分からない」の周期が短くなっていき、最終的には「分かる」に収束する
瞑想で、「ぼわぁぁぁ」っと温かい「ぬくぬく」としたところに居ると、
人生も「ぼわぁぁぁ」っと「ぬくぬく」としたものになる。
それがデフォルトになる。
脳の可塑性によって。
「ピリッ」とした、凛とした、「ドキドキ・わくわく」が止まんねぇがいい
「今、この瞬間が一番活きてるんだー」の積上げた人生。
それには瞑想でも「緊張・拮抗」で居ること。在ること。