#安心・安全が土台

#安心・安全が土台

 

自分の中に「わだかまりがない」の方がしっくりくるかもしれない。

背伸びして威勢を張るわけでも無く、

ビクついてるわけでもない。

 

「安心・安全」で居るのは ”鈍感” ではない。

むしろ “鋭敏” 。

今に居続けなきゃならないのだから。

 

心理状態、心の持ちよう、思い込み、でもない。

 

猫がゴロゴロ喉を鳴らすのは、

「安心・安全」を感じてる証拠。

 

家から一歩出ると、能力の半分も発揮できない

複数の人前でしゃべるとなったら、もう、、、

「安心・安全」が土台

 

同じ「わたし」という個体でも、「絶対安心」の心境で生まれる発想と、

「恐怖」の中で生まれる発想に違いがあるのは経験的に明白で、

その中から選択される行動に違いが出る…

 

行動を決めるのは『在り方』

 

金持ちの家に生まれると、金持ちになるのも、

約束された「安心・安全」があるから。

発想が豊か。

 

だから、「金持ちになろう」と言いたいのではなく、

「自分は金持ちだと思い込めばいい」でもなく、

ただ、「『在り方』によって変わる」という事実を受け入れる

 

逆に、「恐怖」があると、

・認知が狭まる

・思考が偏る

・身体の自由が効かなくなる

 

結局、身に付けるものとか、外のものは、

「安心・安全」を得たいがための…

「装飾品」「肩書き」「お金」「人脈」、、、外のものたち。

これら無しでも、「ドーン!」と座ってられないものか?

 

モノに依存するのは、、、

「これを付けてると調子がいい」「これじゃなきゃダメなんだ」、、、

カモられ体質だな。。。

「壺」と変わらん。

 

モノじゃない。依存するのは「安心・安全」。

 

あっ、あと「人」に依存するのも同じこと。

 

絶対的な安心があれば、刺青を入れない

必要性を感じないから。

 

「分かった」このときが一番心地良い

興奮の「分かった!」ではなくて、

腑に落ちたときの「分かった」。腹に落ちる。

 

「あ〜そういうことだったんだ」「このままでよかったんだ」

ずっと探してたものが、実はいつもあったんだ、という安心感にも似た…

 

でも「分かった」は続かない。明日には「?」ってなる

「分かった」の連続でいくしかない。

 

ただいま『夢中で在りたい』コンテンツを作成中。

どうすれば「夢中で在れるか?」、そんな観点から書いてます。 日々、内容を充実させてます。 頭に「#」タグが付いてる記事がそれです。 (自分が到達できなくても、誰かのヒント…いや、ネタの一つにでもなったら嬉しい。。)