要らないものを、ぜんぶ削ぎ落とした結果、最後の最後に欲しいのは、『安心・安全』である。
そしてこれは今すぐ手に入る。
「思考」しなければ。
「思考」してるときだけ存在するのが、「苦しみ・問題」、そして『時間』。(【#「時間」は存在しない】~『時間なんて無い』とした方が、辻褄が合うことが多いし、 なにより、自分にとって都合が良い。)
ほんとうに欲しいのは、『安心・安全』。
『安心・安全』だけを抱えて生きていく。
- 1. 【結論!】いますぐ『安心・安全』で在るためには、、
- 2. 『安心・安全』が土台 ~何をするにも、しないにも。
- 3. 『安心・安全』で在るときの “感じ”
- 3.1. 自分の中に「わだかまりがない」の方がしっくりくるかもしれない。
- 3.2. 「安心・安全」で居るのは ”鈍感” ではない。
- 3.3. 『「安心・安全」で在る』という実感。これ以上のものは無い。
- 3.4. 結局、身に付けるものとか、外のものは、
- 3.5. モノに依存するのは、、、
- 3.6. 「分かった」このときが一番心地良い
- 3.7. 『認知世界』が「現実世界」を包含していれば、もうほぼ「安心・安全」を手に入れたも同然。
- 3.8. 何があっても「安心・安全」を感じてる、これが「さとり」の状態
- 3.9. 動くと消える、『安心・安全』の “感じ”
- 3.10. 結局、「安心・安全」が欲しいんだろ?だったら動くな。
- 3.11. やってる本人が、「こんなことやっててこの先どうなるんだろう?」と思っても、
- 3.12. 最終目標は、、、「現場」で『安心・安全』を感じられること。
- 3.13. 「安心・安全」の次は、「不足」をつくる
【結論!】いますぐ『安心・安全』で在るためには、、
今すぐ「安心・安全」で在るには、、【思考しない】←これで解決。
あとは「やった時間」とその「深さ」の掛け算で、「脳の可塑性」により、デフォルトになる。(【#脳の可塑性】~ゆっくりと、知らないあいだに、、)
具体的には、「思考の起点を捉えようとすること」に夢中になる。(「思考」の「起点」 #瞑想日記)
夢中になれたら、飽きずにやれる。
夢中になるコツは、無限小の中に『緊張・拮抗点』を探すこと。(#緊張・拮抗)
最初のうちは、難しいので、「二の矢」を打たないだけでいい。
そして、少しづつ「思考の起点」を探るに移行できる。
できる日と、できない日がある。できない日のほうが多い。
これはそういうもんだと思って深く考えない。
「思考の起点」を探れるのに慣れてきたら、『感覚』・『感情』・『(外界の)現象』についても、認知したら「ずらす」「外す」をやっていく。(#認知を「外す」)
最終的には、『思考』・『感覚』・『感情』・『外界』それらすべてと『わたし』とは “一切関係無い” 、 “切り離す” の習得を目指す。
「思考しない・考えないこと」が上手くなったら、「問題」に “飲み込まれたまま” か?
現実に起きてる「問題」を、そのままにしておくのだから、、
A:「飲み込まれる」のも、「飲み込まれない」のも『自在』。
“繊細” で “広大” な「認知」で、その問題が “取り扱うべきか否か” 、瞬時に適切に「選択」できる。
(#認知の密度)
(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」)
「安心・安全」が欲しいなら、ただ「安全・安全」で『在れば』いい。
(外)の何かを手に入れたり、何者かに成らなくても、
「安心・安全」を深く感じてる、 “その状態” をできる限り長時間・深くキープしてたらいい。
「脳の可塑性」により、やがてその状態がデフォルトになるまで。
自転車に乗るほど「簡単ではない」が、自転車に乗るのと「理屈は同じ」。
『安心・安全』が土台 ~何をするにも、しないにも。
「抜け道」はいくらでもあるって分かってるから、
だから前に進める。
そこには、「安心・安全」がある。
瞑想で「認知が密」でいれば、「思い付き」や「気付く」ことが多くなる。(#認知の密度)
絶望などしない。
『安心・安全』でないと、 “つまんない” 「認知」をしてしまう
「心配だ。不安だ。」がマインドの領域を占めてしまう
まず空けないと。。
家から一歩出ると、能力の半分も発揮できない
複数の人前でしゃべるとなったら、もう、、、
「安心・安全」が土台
同じ「わたし」という個体でも、『絶対安心』の心境で生まれる発想と、
「恐怖」の中で生まれる発想に違いがあるのは経験的に明白で、
その中から選択される行動に違いが出る…
行動を決めるのは『在り方』(#『在り方』(在りよう))
金持ちの家に生まれると、金持ちになるのも、
約束された「安心・安全」があるから。
発想が豊か。
だから、「金持ちになろう」と言いたいのではなく、
「自分は金持ちだと思い込めばいい」でもなく、
ただ、「『在り方』によって変わる」という事実を受け入れる
逆に、『恐怖・不安』があると、
・認知が狭まる(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」)
・思考が偏る(#偏り)
・身体の自由が効かなくなる
「ホラー映画」や「絶叫マシーン」の需要はあるけど、
“本当に怖い思い” したかったら、もっと身近で体験できる。
たとえば、怖そうな人の頭を後ろから思いっきり引っぱたくとか…😨
「安心・安全」が確保されてると分かってるからできる。
それって “本当に”「怖い」の?
頭で理解するのではなく、本当に「恐い」という『反応』が思考・感情・感覚に起きないのが、さとり。
【注)訂正】 『反応』は起きてしまうもの。でも、瞑想やってたら、起きた瞬間、気付ける。だから「止める」ことができる。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、)
「現実逃避」では、一瞬しか『安心・安全』でいられない
「現実」は “まるっと・くるっと” 、「包含・許容」する
『安心・安全』がなきゃ “ほんとうには” 眠れない
意識を解き放つことができない
お金やものをたくさん持てば、『安心・安全』なのか?
お金をいっぱい持ったら、強盗に襲われる確率が、
今までゼロに、近かったのが、1%だとしても、
0→1…無限(∞)倍に跳ね上がった!
盲点だったでは遅すぎる。。
(【#認知の盲点】~消すことはできない。必ず付いて回る(恐怖))
『安心・安全』で在るときの “感じ”
自分の中に「わだかまりがない」の方がしっくりくるかもしれない。
背伸びして威勢を張るわけでも無く、
ビクついてるわけでもない。(#『在り方』(在りよう))
「安心・安全」で居るのは ”鈍感” ではない。
むしろ “鋭敏” 。
今に居続けなきゃならないのだから。(【#今に在る】)
心理状態、心の持ちよう、思い込み、 “でもない” 。『在り方』。
猫がゴロゴロ喉を鳴らすのは、
「安心・安全」を感じてる証拠。
『「安心・安全」で在る』という実感。これ以上のものは無い。
神とかあの世とか、能力とか、、、アホくせ。
結局、身に付けるものとか、外のものは、
「安心・安全」を得たいがための…
「装飾品」「肩書き」「お金」「人脈」、、、外のものたち。
これら無しでも、「ドーン!」と座ってられないものか?
モノに依存するのは、、、
「これを付けてると調子がいい」「これじゃなきゃダメなんだ」、、、
“カモられ体質” だな。。。
「壺」と変わらん。
モノじゃない。依存するのは「安心・安全」。
あっ、あと「人」に依存するのも同じこと。
「分かった」このときが一番心地良い
興奮の「分かった!」ではなくて、
腑に落ちたときの「分かった!」。腹に落ちる。
「あ〜そういうことだったんだ」「このままでよかったんだ」
ずっと探してたものが、実はいつもあったんだ、という安心感にも似た…
でも「分かった」は続かない。明日には「?」ってなる
「分かった」の連続でいくしかない。
「!!!!!!!!!!!、、、」
『認知世界』が「現実世界」を包含していれば、もうほぼ「安心・安全」を手に入れたも同然。
「現実世界」の他になにがあるのか?
「アリエナイ世界」「ワケワカラナイ世界」
↑こういうことが在る!と許容してる。
だから「安心・安全」は崩れない。(#認知世界の広さ(狭さ))
何があっても「安心・安全」を感じてる、これが「さとり」の状態
あとは深いかどうかだが…
その深さは、一つの要素では決まらない。
自分がいくら集中したからとか、環境が静かだとか、
「わたし」が決めれることではない。
三笘薫のように、自分のゴールは、自分だけで起こったものではない、ように。
▶ 三笘のゴーール!「こうやって短期間でも無名から有名になっていくんだね。」【謙虚】【認知の広さ】【「見る」と「観る」】
深いから良いとか、浅いからダメとか、そんなことすら手放す。さとりとか「どーでもいい」と。
そこについては、「任せる」。何にか分からないけど…「委ねる」。
それは「自分の問題」ではない、と。(#新しい問題解決法)
そしたら深まる、不思議だけど。。。
動くと消える、『安心・安全』の “感じ”
言動、、、
・思考する
・身体を大きく動かす
結局、「安心・安全」が欲しいんだろ?だったら動くな。
まず「安心・安全」に成ってからにしろ。
そこであらためて、「ほんとうに動く必要があるか無いか」決めろ。
やってる本人が、「こんなことやっててこの先どうなるんだろう?」と思っても、
それをやってるときの『在りよう』が「安心・安全」を伴っているなら、良し!
人ができて、自分ができなくても、
“自分にとって” それが大事なことであるなら、扱わなきゃならない。(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。)
そこを無視しては先に進めない。
最終目標は、、、「現場」で『安心・安全』を感じられること。
「指揮官」は『安全・安心』の場に居るから冷静な判断が可能。
それを「現場」でやる。
そういう人っているよね。
「安心・安全」の次は、「不足」をつくる
“ぬるま湯” に浸かっていても、『安心・安全』ではいられる、、、
でも、そうじゃない!
活きていたい!
「安心・安全」の中にずっといるより、『緊張・拮抗状態』の方が、活きてる!
「不足」があるから「欲求」が生まれる。(#ほんとうの欲求)
「安心・安全」が土台にあるから進める、いや、進んでしまうんだ。考える前に。
【参考記事】▶【#緊張・拮抗】~夢中、ゾーン、フロー、さとり、、の「鍵」