【瞑想日記】更新中!

【#ほんとうの欲求】~どう『在りたい』か。。。

【#ほんとうの欲求】~どう『在りたい』か。。。

自分の「ほんとうの欲求」のためには、魂売るぜ。

一歩も引かない

「安っすい上っ面の欲なんか要らねぇんだわ」

 

「ほんとうの欲求」とは、どう『在りたい』か。。。

 

目次

「ほんとうの欲求」とは?

やってもいいし、やらなくてもいい

欲求が出たらやる。無きゃやらない。以上。

 

“理由を考えてる” 時点で、その行為は「ほんとうの欲求」ではない

「ほんとうの欲求」なら、 “やってしまう” ものだから。(【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?

何が欲求でもいい。そこにも「分別・比較」を持ち込まない。

 

外的な刺激に対して反応するのが「脳の欲求」、

外的な刺激に依らないのが「ほんとうの欲求」

 

だから「止ま」ってなきゃならない。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、

それを「観て」なきゃいけない。(#観る)

 

抑えようにも抑えられないんだろ。湧き上がってくるんだろ。俺と同じだ。血は嘘をつかないぜ

「お前のその考古学への情熱が証拠だ。抑えようにも抑えられないんだろ。湧き上がってくるんだろ。俺と同じだ。血は嘘をつかないぜ

映画『ルパン三世 THE FIRST』

「ルパン!ロマンチストじゃなきゃ考古学なんてできないのよ」
「泥棒もな。イヒヒヒ…」

映画『ルパン三世 THE FIRST』

 

好きなことやってたら、出会いがあって、、、

その結果、家族になりました。

「結果」やん。

 

まず自分の中に、愛でもなんでもいいわ、何かを貯めて貯めて、溢れ出したそれで生きてたら、「結果〇〇しました、なりました」。

#因果が逆

 

自動で動いてしまって、”後から気付く” 、

それが「ほんとうの欲求」

だから探すのは無駄。

 

 

それは「ほんとうの欲求」ではない!

 

誰かに認められなきゃ動けない…

まぁ、 “その程度” の「欲求」だったってこと。

 

「ほんとうの欲」は、何か「大きなことを成し遂げること」とは違う

その「大小」は関係なく、「成し遂げたかどうか」すら “問題ではない”

その “結果” 、成し遂げたのが、”たまたま”「大きなことだった」というだけ。

「成し遂げる」をも包含してる。

 

「広さ」「拡がり」が無限大な感じ(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」

 

「結果」は “どーでもいい” のだ

「結果」は「問題」に “すらならない”

「それがどーした?」「そこじゃねぇ」「結果なんか知らね」(【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。

 

「自分のほんとうの欲求」に “伴わない”「行動」ばかりで、

「ブレーキ」を掛けながら進もうとしてるもん w

 

誰かと飲みに行きたい。。。?行かなければならない?

“ほんとうに” その「欲求」が “ある” のか、”無い” のか?

 

「他人と親しくなりたい」という、、、欲求。

親しくなってもいいし、ならなくてもいい。どっちでもいい。

 

その「行為 “自体” 」が目的でないと、結局 “続かない” で “止めてしまう”

『夢中』であったかどうか、ここだけ。(もう、自分が「夢中になれること」を探すのはやめましょう

 

「好きなこと」だけが、すべきことじゃない。

「興味」も ”縁” の一つ。

もっと “無数の要因” が絡んでいる。

 

“誰かに作られた” 「欲求」で “動かされて” いないか。。

 

外からの刺激(知識・経験、、、)は『ほんとうの欲求』になり得るか?

「私はここに閉じ込められるまえの十四年間に、既に外界を経験しています。したがって、外界へのノスタルジィが私をコントロールするのです。生まれながらの能力ではありません。、、、

#『すべてがFになる』 p.18 真賀田四季

 

「知識」や「経験」は、『縁』なのか?

「認知」による?

そこから生まれた欲求は、「ほんとうの欲求」なのか?

「脳に支配された」と言っても過言ではない

 

“根拠が無い” とやらないのか?

根拠=「科学的」、「一般的」、、、

お前は「平均値」なのか?

 

自分が「平均値」そのものである可能性は、限りなく低い、、、(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。)

 

「健康」だって、『欲求』に従ってたら、2次的に必要になるもの

その『欲求』を満たすためには、「健康」でないと、、、

「健康」ありきではない。『欲求』が先。

 

「ゲームをやり続けてしまう…」は、浅い欲求。脳のドーパミン欲しさに、、、

もっと根源的に、ゲームがなかった時代を、想像すると…

 

ほんとうの「睡眠」欲

身体が “眠ろうとする” のと、

「眠りたいかどうか(欲)」は別だと分かった!

 

もっと起きて、現実を謳歌したいんだ!

 

「欲求が無い」のに(身体が) “寝ようとする” って、、、異常だろう。。

 

「 “眠りたい” という欲求」は、身体や頭が望んでるもので、

”眠らずにいれるなら”、「ずっと何かしていたい」という欲求がある。

 

眠らない身体を すべて欲しがる欲望を 大げさに言うのならば きっとそういうことなんだろう

『イージューライダー』奥田民生

 

どっちが「 “ほんとう” の欲求」か?

 

「生きたい」という欲求よりも、”もっと深い” 欲求がある

 

 

「ほんとうの欲求」を見つけるために。。

 

頭に浮かんだものにすぐ取り掛かる(反応する)からダメなんだ。

それは捨てないと…小さい欲だから。

 

自分にとって「何の “縁も無い” こと」をやってても、

説得力がないし、意欲も湧かないし、、、

何より、繋がらない。「次の縁」に。

 

「縁が拡がる」のは、、、

「起点」は、「 “自分にとって” 最も縁のあること」。そこから始める。(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。

 

削ぎ落して削ぎ落していった結果、残ったのは、

ほんとうに「やりたいこと」など無い。

ただ『在りたい』ように在れ、だ。

 

欲求が起こったらやる。「欲求主導型」ザク。

 

何も欲求が出てこないなら、それで良い。

むしろそれが良い。

何も必要ない。不足もない。

これこそ求めていたものだから。(【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…

 

味わい尽くせばいい

そのうちどーせ飽きてくる。(#慣れ

 

そしたらなんか欲求が湧いてくる。

 

考えるな、探すな。

思い付くまで待て。

「考えるな、感じろ」(改)

 

「何に」夢中であるかは何だっていいじゃないか。

ただ「夢中」でさえ在れば。。

ほんとうの欲求に従ってると、疲れない

「緊張・拮抗状態」でフローに入り易い。(#緊張・拮抗

 

意識が鋭敏でいたい…

そう思うのは、 “そうでないこと” の方が多いから。

その時の “感じ” が忘れられないから、欲求が強い。。(#認知の密度

 

本当に好きかどうかがわかる方法

「捨てる」、「手放す」

好きなら「思い付く」、「気付いて」 “しまう”。「続けて」 “しまう” 。

 

得意なら、次々と見えて “しまう” もの

やること、問題、解決方法…

関心を持って “しまう”

 

その「余剰・余力」で生きる。

「余剰・余力」とは、「認知 “してしまう” もの」

 

ほんとうに好きなら「尖る」。 “勝手に” 。

【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?

 

「ほんとうの欲」、、、行き着く先は皆一緒のような気がする。。。

怒りや、後悔、反省、人の目などを原動力としても、

結局途中で、「こんなはずじゃなかった…」となるのを、なぜだか知っている。

 

「知識・論理」の構築による「予測」や、「希望」などは論外。

それらは必ず「矛盾を内包」してるから。

 

もっと奥の方からくる「ほんとうの欲求」…

それは、「安心・安全」?

▶ #安心・安全が土台

 

~ ごあいさつ ~ ハチ@夢中

瞑想やってます。日記書いてます。 ウソかホントか、よく分からない話を読んでくれてありがとう。自分が「認知した世界」を少しづつ書き溜めてます。 (♪素敵なものが欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う 『JAM』THE YELLOW MONKEY) 自分の頭の中を覗かれるようで恥ずかしいけど、公開します。(後悔しません!) 「ここが違うよ!」「それは分かる」「合ってるよ!」何でもご意見・ご感想頂けると嬉し いです。(難しいことは分かりませんw)