自分の「ほんとうの欲求」のためには、魂売るぜ。
一歩も引かない
「安っすい上っ面の欲なんか要らねぇんだわ」
「ほんとうの欲求」とは、どう『在りたい』か。。。
- 1. 「ほんとうの欲求」とは?
- 2. それは「ほんとうの欲求」ではない!
- 2.1. 誰かに認められなきゃ動けない…
- 2.2. 「ほんとうの欲」は、何か「大きなことを成し遂げること」とは違う
- 2.3. 「自分のほんとうの欲求」に “伴わない”「行動」ばかりで、
- 2.4. 誰かと飲みに行きたい。。。?行かなければならない?
- 2.5. その「行為 “自体” 」が目的でないと、結局 “続かない” で “止めてしまう”
- 2.6. 「好きなこと」だけが、すべきことじゃない。
- 2.7. “誰かに作られた” 「欲求」で “動かされて” いないか。。
- 2.8. 外からの刺激(知識・経験、、、)は『ほんとうの欲求』になり得るか?
- 2.9. 「知識」や「経験」は、『縁』なのか?
- 2.10. “根拠が無い” とやらないのか?
- 2.11. 「健康」だって、『欲求』に従ってたら、2次的に必要になるもの
- 2.12. ほんとうの「睡眠」欲
- 2.13. 「 “眠りたい” という欲求」は、身体や頭が望んでるもので、
- 2.14. 「生きたい」という欲求よりも、”もっと深い” 欲求がある
- 3. 「ほんとうの欲求」を見つけるために。。
- 3.1. 頭に浮かんだものにすぐ取り掛かる(反応する)からダメなんだ。
- 3.2. 自分にとって「何の “縁も無い” こと」をやってても、
- 3.3. 削ぎ落して削ぎ落していった結果、残ったのは、
- 3.4. 何も欲求が出てこないなら、それで良い。
- 3.5. 考えるな、探すな。
- 3.6. 「何に」夢中であるかは何だっていいじゃないか。
- 3.7. ほんとうの欲求に従ってると、疲れない
- 3.8. 意識が鋭敏でいたい…
- 3.9. 本当に好きかどうかがわかる方法
- 3.10. 得意なら、次々と見えて “しまう” もの
- 3.11. ほんとうに好きなら「尖る」。 “勝手に” 。
- 3.12. 「ほんとうの欲」、、、行き着く先は皆一緒のような気がする。。。
「ほんとうの欲求」とは?
やってもいいし、やらなくてもいい
欲求が出たらやる。無きゃやらない。以上。
“理由を考えてる” 時点で、その行為は「ほんとうの欲求」ではない
「ほんとうの欲求」なら、 “やってしまう” ものだから。(【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?)
何が欲求でもいい。そこにも「分別・比較」を持ち込まない。
外的な刺激に対して反応するのが「脳の欲求」、
外的な刺激に依らないのが「ほんとうの欲求」
だから「止ま」ってなきゃならない。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、)
それを「観て」なきゃいけない。(#観る)
抑えようにも抑えられないんだろ。湧き上がってくるんだろ。俺と同じだ。血は嘘をつかないぜ
「お前のその考古学への情熱が証拠だ。抑えようにも抑えられないんだろ。湧き上がってくるんだろ。俺と同じだ。血は嘘をつかないぜ」
映画『ルパン三世 THE FIRST』
「ルパン!ロマンチストじゃなきゃ考古学なんてできないのよ」
「泥棒もな。イヒヒヒ…」映画『ルパン三世 THE FIRST』
好きなことやってたら、出会いがあって、、、
その結果、家族になりました。
「結果」やん。
まず自分の中に、愛でもなんでもいいわ、何かを貯めて貯めて、溢れ出したそれで生きてたら、「結果〇〇しました、なりました」。
(#因果が逆)
自動で動いてしまって、”後から気付く” 、
それが「ほんとうの欲求」
だから探すのは無駄。
それは「ほんとうの欲求」ではない!
誰かに認められなきゃ動けない…
まぁ、 “その程度” の「欲求」だったってこと。
「ほんとうの欲」は、何か「大きなことを成し遂げること」とは違う
その「大小」は関係なく、「成し遂げたかどうか」すら “問題ではない”
その “結果” 、成し遂げたのが、”たまたま”「大きなことだった」というだけ。
「成し遂げる」をも包含してる。
「広さ」「拡がり」が無限大な感じ(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」)
「結果」は “どーでもいい” のだ
「結果」は「問題」に “すらならない”
「それがどーした?」「そこじゃねぇ」「結果なんか知らね」(【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。)
「自分のほんとうの欲求」に “伴わない”「行動」ばかりで、
「ブレーキ」を掛けながら進もうとしてるもん w
誰かと飲みに行きたい。。。?行かなければならない?
“ほんとうに” その「欲求」が “ある” のか、”無い” のか?
「他人と親しくなりたい」という、、、欲求。
親しくなってもいいし、ならなくてもいい。どっちでもいい。
その「行為 “自体” 」が目的でないと、結局 “続かない” で “止めてしまう”
『夢中』であったかどうか、ここだけ。(もう、自分が「夢中になれること」を探すのはやめましょう)
「好きなこと」だけが、すべきことじゃない。
「興味」も ”縁” の一つ。
もっと “無数の要因” が絡んでいる。
“誰かに作られた” 「欲求」で “動かされて” いないか。。
外からの刺激(知識・経験、、、)は『ほんとうの欲求』になり得るか?
「私はここに閉じ込められるまえの十四年間に、既に外界を経験しています。したがって、外界へのノスタルジィが私をコントロールするのです。生まれながらの能力ではありません。、、、」
#『すべてがFになる』 p.18 真賀田四季
「知識」や「経験」は、『縁』なのか?
「認知」による?
そこから生まれた欲求は、「ほんとうの欲求」なのか?
「脳に支配された」と言っても過言ではない
“根拠が無い” とやらないのか?
根拠=「科学的」、「一般的」、、、
お前は「平均値」なのか?
自分が「平均値」そのものである可能性は、限りなく低い、、、(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。)
「健康」だって、『欲求』に従ってたら、2次的に必要になるもの
その『欲求』を満たすためには、「健康」でないと、、、
「健康」ありきではない。『欲求』が先。
「ゲームをやり続けてしまう…」は、浅い欲求。脳のドーパミン欲しさに、、、
もっと根源的に、ゲームがなかった時代を、想像すると…
ほんとうの「睡眠」欲
身体が “眠ろうとする” のと、
「眠りたいかどうか(欲)」は別だと分かった!
もっと起きて、現実を謳歌したいんだ!
「欲求が無い」のに(身体が) “寝ようとする” って、、、異常だろう。。
「 “眠りたい” という欲求」は、身体や頭が望んでるもので、
”眠らずにいれるなら”、「ずっと何かしていたい」という欲求がある。
眠らない身体を すべて欲しがる欲望を 大げさに言うのならば きっとそういうことなんだろう
『イージューライダー』奥田民生
どっちが「 “ほんとう” の欲求」か?
「生きたい」という欲求よりも、”もっと深い” 欲求がある
「ほんとうの欲求」を見つけるために。。
頭に浮かんだものにすぐ取り掛かる(反応する)からダメなんだ。
それは捨てないと…小さい欲だから。
自分にとって「何の “縁も無い” こと」をやってても、
説得力がないし、意欲も湧かないし、、、
何より、繋がらない。「次の縁」に。
「縁が拡がる」のは、、、
「起点」は、「 “自分にとって” 最も縁のあること」。そこから始める。(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。)
削ぎ落して削ぎ落していった結果、残ったのは、
ほんとうに「やりたいこと」など無い。
ただ『在りたい』ように在れ、だ。
欲求が起こったらやる。「欲求主導型」ザク。
何も欲求が出てこないなら、それで良い。
むしろそれが良い。
何も必要ない。不足もない。
これこそ求めていたものだから。(【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…)
味わい尽くせばいい
そのうちどーせ飽きてくる。(#慣れ)
そしたらなんか欲求が湧いてくる。
考えるな、探すな。
思い付くまで待て。
「何に」夢中であるかは何だっていいじゃないか。
ただ「夢中」でさえ在れば。。
ほんとうの欲求に従ってると、疲れない
「緊張・拮抗状態」でフローに入り易い。(#緊張・拮抗)
意識が鋭敏でいたい…
そう思うのは、 “そうでないこと” の方が多いから。
その時の “感じ” が忘れられないから、欲求が強い。。(#認知の密度)
本当に好きかどうかがわかる方法
「捨てる」、「手放す」
好きなら「思い付く」、「気付いて」 “しまう”。「続けて」 “しまう” 。
得意なら、次々と見えて “しまう” もの
やること、問題、解決方法…
関心を持って “しまう”
その「余剰・余力」で生きる。
「余剰・余力」とは、「認知 “してしまう” もの」
ほんとうに好きなら「尖る」。 “勝手に” 。
「ほんとうの欲」、、、行き着く先は皆一緒のような気がする。。。
怒りや、後悔、反省、人の目などを原動力としても、
結局途中で、「こんなはずじゃなかった…」となるのを、なぜだか知っている。
「知識・論理」の構築による「予測」や、「希望」などは論外。
それらは必ず「矛盾を内包」してるから。
もっと奥の方からくる「ほんとうの欲求」…
それは、「安心・安全」?