#偏り

#偏り

「猫が好き」これも偏り

猫と他のものを区別してる。優劣を付けてる。

でも、”してしまう” から、しょうがない。。。

 

ずっと同じ思考をグルグルとしてしまうのは、

何かに執着してるからで、、、

執着してるものが何であれ、偏った『在りよう』

 

『在りよう』によって、同じものしか認知できないようになってる。

 

怖いかもだけど、一瞬でもいいからそれを外す

「今は要らない」と。

そうすると、『在りよう』が変わり、見えなかったものが見える。

 

長くは続かない。だからまた外す。また、、、。その繰り返し

望む『在りよう』がデフォルトになるまで。。。

 

初めて聞いた曲も、「この歌は誰々の歌だ!」ってすぐ分かる。

特徴があるのだ。

つくった人のDNAだったり、生きてきた経験だったり、、、

ある意味「偏り」とも言える。

 

「認知の偏り」から逃れられる人などいない。。。

 

手放すと認知の偏りが解放されるから、

さっきまでの自分では到底思いも付かなかったことが、降ってくる。

「あーそうか!(解決)」

 

『在り方』が変わったんだ。

 

意見なんて、状況や環境で一変する

統計調査や、一般論の不確かさ…サイレントマジョリティーもいる

唯一信頼できる情報は自分の実感のみ

だが、その実感も偏った見方…

そうなるともう、「分からない」というのが本当のところではないのか?

「何が原因で失敗したのか」、「何が要因で上手くいったのか」なんて、分かりようがないのではないか?

結果に一喜一憂したフリはしても、決して飲み込まれない。プロレスを見てるんだ。

すべてを「自分ごと」として捉えてしまうのも、偏った見方。今すぐ止める。

物事はそんなふうには決まらない。

 

世間一般に迎合しなくなると良いのは、、、

「良い悪い」で「判断」しなくなること。

そういう、常に「変化し続ける」モノサシを基準にしないで、

「不変」である「理」で判断するので、ブレない。

 

「偏りのない認知」≒「まんべんなく意識する」

「思考」や「視覚」に偏りがちな意識を、

「感情」、視覚以外の「感覚」にもまんべんなく向けてみる。

丁寧に、均等になるよう。。。

 

「モノ」や「お金」じゃないんだなぁ。

「健康(身体)」や「心(感情)」でもない。

「偏る」のがダメなんだ。

「問題」や「苦しみ」が無くならない。

 

生きてるかぎり、必ず認知が偏ってる

偏りが、苦しみや問題の原因

どーする?

一瞬々々、『認知を外し続ける』

メタ認知

だから”さとり”は一瞬だということ。

 

ただいま『夢中で在りたい』コンテンツを作成中。

どうすれば「夢中で在れるか?」、そんな観点から書いてます。 日々、内容を充実させてます。 頭に「#」タグが付いてる記事がそれです。 (自分が到達できなくても、誰かのヒント…いや、ネタの一つにでもなったら嬉しい。。)