人生は、どうしたら『緊張・拮抗』状態で居れるか「ゲーム」。
『緊張・拮抗』状態がBESTな状態だから
何があっても、、、
緊張・拮抗を分かってもらうのに、ゲームを例に取ってみようと思う。
ゲームの中でも最も単純な、、、
テトリス
なぜテトリスは「夢中」になってやってしまうのか?
常に「絶妙な難易度(LEVEL)」を設定してくる。
”つい” やってしまうのだ。
「結果なんて、知らね。」
ずーっと『緊張・拮抗状態』に入って、あとは『脳の可塑性』に委ねていれば、重いものも軽くなっていく。。。
「結果なんて、知らね。」
俺の影響なんてたかが知れてるわ。
「#偏り」が「苦しみ」や「問題」の原因だからって、”ただ真ん中に居る” のではない。
真ん中、中間点、平均点、、、ここに「力」は集まらない。
それは、ただボーっと「居る」だけ。
”がち” な「ゼロ」だ。(何もない。何も生まれない)
瞑想で活力・健康を害した、青白い顔をし、ヒョロガリ体型の人を見たことがあるだろう。
存在感を発揮し『在る』には、活力満タンで居るには、
『緊張・拮抗点』を探すのだ。
自分が「平均値」である可能性って、限りなく “ゼロ” に近い
それなのに、本を読んで学んだ、と、その通りやってみようとするが…上手くいかない。。
「平均値」に近づこうとするのは、大方の場合、自分にとって「不正解」だったりする。
いつも「ドキドキ・わくわく」
この『在り方』が、能力全開の状態
自分で創れる
いつも日中眠かったのが…「眠くない!どっかいった。」
「公平」「平等」など無い!
『緊張・拮抗』が在るだけだ。
「緊張・拮抗点」は、相対的なものなので、どこにでも在る。
体調が悪いからって、「あー何もできない」って思ったら大間違い。
呼吸はしてるし、体は動くし…
その条件・環境・状況での「緊張・拮抗点」は在るはず。
そこを探す。
体の悪い箇所に意識をとらわれない、いい練習になる。
「わたし」と「からだ」を切り離す
ついでに「しこう」も「かんじょう」も…やったれ!
たとえ↘下降線の中にでも在る。
「逃げる」を使うときは、そのゲームが自分にとって難易度が高過ぎだと気付いたとき。
「逃げる」は選択肢の一つで、他の選択肢と優劣は無い。
どうやっても緊張・拮抗点が見つけられないと察知したとき。
これには、常に自分の反応を見張ってなきゃならない。
「この現象に対して自分はこう反応するんだな、(・_・D フムフム」
目的を見失ってはいけない。
目的は「常に今、この瞬間が最高で一番」
何かを達成することではない。
何かを達成することで一瞬だけ得られるものではない。