【瞑想日記】更新中!

【#脳の機能】~「思考」は「わたし」ではない。。

【#脳の機能】~「思考」は「わたし」ではない。。

私は「寂しいんだ」。「つらいんだ」、、、

そっちしか見えなくなるぞ!

強化してる。。

 

目次

「思考」は「わたし」ではない。。

 

「何を認知するか」は自分で選べない

自動の反応。

『在り方』による。(【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…

 

「認知」→「判断」→「行動」の順

例)『オシムのビブス』(オシムは得点者よりも、囮になった選手を褒める

 

「行動」は、「何を認知するか」によって決まる。

その「認知」が自動の反応。。

例)『自由意志などない』(【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?

 

「問題」を “認識してしまう” のは、「思考グセ」

自動の「反応」

 

認知グセ

愚痴ばっかり言う人は、その認知が強化される。

脳がいつも愚痴を探してる

 

人生は「認知したもの」 “そのもの” です。(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」

私の人生は「愚痴」でした。

私の人生は「○○」でした。

 

何で認知を埋めるのか?

起きた「事象」は何でも構わない

それを「どう認知したか」だ。

 

反応してるだけなら虫といっしょ

虫を卑下してるのではない。

でも、人間には「反応してる自分を観てる」という機能がある。(#観る

これだけが他の生き物と違うところ。

AIにも無い。

 

「比較」や「判断」が起こるのはしょうがない。

【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。

それが「脳」のデフォルトだから。

 

でも、無限小の段階で気付いて「止める」ことが出来るのは、唯一「わたし」

それを瞑想でやってる。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、

 

「自分とは違う」と認知してしまうのが、「問題」の始まり

区別、分別、優劣…

 

脳の機能の行き過ぎ(【#偏り】~「偏り」にいち早く気付き、解消する方へいく。

ことばも…

 

ほんとうは “繋がってる” のに、切り離して見てしまう…

接着剤を無視するな!

 

「繋がっている」、「同じものだ」と観たときに、今まで見えなかったものが見えてくる

私の場合は、「世の中ぜんぶプロレスしてんだな」だった。

プロレスだと分かって、この世界に参加する(【#プロレス】~この世界をどう観るか?

 

そしてその認知は、間違っている。

人によっては、映画と観たり、そこに「神」が登場してややこしくなったり、、、

でも自分にとっては「プロレス」が “しっくり” くる、というだけ。

 

ものごとに順番つけたり、優劣つけたりするクセ、、、 #比較・判断・分別

そういう風に見てると、、、

あれは美味しい、あれは美味しくない、、、

色んなものを “そういう風に” 見てしまうんだろうな

 

「特徴」を観よう。

こういうところが突出しているね、って。

 

今の状況を瞬時に “感じて” 、「物語」を創り出す。

「脳」が。

それが認知。

 

「物語」はすべて「脳」が創り出すもの。

この世界は幻です。というのも。。

神がいて、人間が居て、、も。

解釈は人それぞれ。

 

認知したものは、ぜんぶプロレス。

自分がどれだけ、「体感した」「実感した」「見た!」と言っても、それらはどこまでいっても「『脳』が見せたもの」。

 

「そんなの嘘だ!」「そんなの寂しい」と思うのもまた脳が創り出した物語。

以下続く(無限∞)

どこで止める?

 

脳は辻褄が合わないことを嫌う

それはもう必死で材料を探す。高速で、瞬時に答えを出す(これが「言い訳」)

 

「『時間』なんて無い!」なんて言ったもんなら、もう大変。

【#「時間」は存在しない】~『時間なんて無い』とした方が、辻褄が合うことが多いし、 なにより、自分にとって都合が良い。

 

でももし、辻褄を合わせるために、脳が『時間』を創り出してるとしたら…

あながち…

 

「神隠し」…「神の〇〇」と、「神」を頭につけたら納得する。誰が?

脳が。

 

脳は、「不安定な状態」を “嫌う” 。(#ゆらぎ

どうにかして安心したい。(【#安心・安全が土台】~『安心・安全』だけを抱えて生きていく。

そうやって、「事象」は “創られる” 。

 

「否定」するのは、自分にとって “都合が悪いこと” だから

【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。

 

悪法(染みついた脳内ルール)は変えられない…

DNAだから。

でも「認知を外す」ことはできる。

「認知を外す」←これは訓練。(#認知を「外す」

 

「一貫性」を求めるのは「脳」であって、『理』はそうではない…

「信念」を曲げれない…

自分の間違いを認められない…

「信頼」が崩れるから…

 

本当にそうだろうか…

「間違ってました」「軌道修正します」と言えない人こそ、「信頼」が “欠ける” のでは?

 

「一貫性」を求めるのは「脳」であって、

この世界の『理』は、もっと「ランダム」で「移ろいゆくもの」。(#ゆらぎ

この「違い」・「ギャップ」が、「不自由」になる原因。

 

本当はこうなのに、「脳」によって誤った見方をしてしまう…

「脳の機能」の “行き過ぎ”。(【#偏り】~「偏り」にいち早く気付き、解消する方へいく。

 

脳を “道具の一つ” として使えてない。

 

脳に “支配されてる” としか言いようがない…

まったく「不自由」だ。

 

脳は暴走するから、止めないといけない

普通は気付けない、

「気づこう」と意識していないと…

 

それでもまた、いつのまにか暴走してる…

やっかいなもの

 

脳は暴走するから、止めないといけない。。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、

 

「幸せ」と「健康」の相関関係を切る。

一切関係ないと。

 

それができないのであれば、「価値観」の上の方に「幸せ」を置かない。

どうせ「幸せ」なんて、ドーパミンとかセロトニンとか、、、「脳内物質の分泌具合」のこと。

 

そういう “誰かにあらかじめ仕組まれた” 「機能」とは、無関係で「わたし」は在れる、のもまた人間。(#わたし・自我

 

「心配」し過ぎたり、「恐れ」過ぎたりして、

心身に悪い影響を及ぼしてると思ったら、、、

「あー脳の機能が暴走モードだなぁ」って、

 

気付いて、止めて、戻れば良い。

 

 

他にもいろんなものが、”ただの”「脳の機能」

 

認知するものを否定し続けたら…

「それは要らない。それも要らない。。要らねー要らねーあー要らねー」と。

自分にとって重要なことが変わる(【#ほんとうの欲求】~どう『在りたい』か。。。

 

それでも「何か必要なものはないか」と、走り回るのが「意識」。

 

「こうだったらいいな」と「事実」が、ごちゃまぜになってる…

 

「認知の盲点」を突いた発言は、一見「正解」に思える。。

「意表を突いた」「気の利いた」「センスある」解答、、

 

そう思ってしまうのは、「快感」が走るから。

「認知の盲点」が埋まるのは、「脳(頭)」にとって「快楽」だから。(【#認知の盲点】~消すことはできない。必ず付いて回る(恐怖)

 

「脳」は “辻褄が合ってない” と “ムズムズ” する。「理屈」が欲しい。

「正解」かどうかは、また別の話し。。

 

認知はどれも、並列でただの認知。

「比較」しない。「評価」しない。「判断」しない。(【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。

 

酒飲むと饒舌になる

普段、言葉が出ない俺でも…

 

『起きたことが正しい』(#因果が逆

つまりそういうこと。

 

足枷から外れたら、認知が回復する(#認知の密度

「瞑想」すると「思い付く」・「気付く」。言葉が出てくる。

 

「神の声が聞こえた」というのは、「認知が密」になって起こるただの「脳の機能」

「神の声」なのか「霊」なのか「地球外生命体の声」なのかは、人それぞれ。

 

「抽象度高い」とは?

Aは、「〇〇だという…」

Bは、「□□だという…」

Cが現れて、「結局どっちも▲▲だってことでしょ。同じだね」←コレ

丸く収める。抱き参らせる。包含する。許容する。

脳にはこんな機能もある。

 

専門家の強さ

TVで専門家が発言すると、他の出演者もその内容に意見が一方向に収束する

気持ち悪い

こうやって「集団心理」は作られていくんだな。

 

「永谷園のお茶漬け」をこの世界で一番美味しくすることは ”できる”

ただ、条件がある。

そう思える・感じれる ”状態” に『在る』かどうか。

 

“「枠」を決められて” から始めるから、脳の機能が阻害されるんだ。

〇時間以内、〇文字以上、、、

何も出てこないときもある。それが普通。←ここで苦しむ(苦しませられる)

不自然なんだ!

 

「集中できるだろ!」

、、、集中ねぇ…

集中は、 “認知を狭める” 方向に働く。(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」

「問題の渦中」にどっぷり “ハマって”しまう

「意識」は “解放” しないと…

 

もっと「思考」は “ランダム” だ。それが自然。

意識は揺らいでる。あっち向いたりこっち向いたり…(#ゆらぎ

認知するものは毎瞬変わる。

 

だから思考も “一方向” はあり得ない。

 

凄い悲しいことがあれば、次に出会う嬉しいことは、とても嬉しいし、、、

♪なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう

『情熱の薔薇』THE BLUE HEARTS

「感情」も「相対的」なもの。

 

“息が上がってるとき” には、「許容範囲」が大きくなる

“小さなこと” は問題じゃなくなる(【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。

それどころではない

 

ルパンはアニメ。架空の物語。

でも何だ?この感動は。

『起きたことはすべて正しい。』(【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?

 

何で、”さとった” とされる人が、皆がみんな「同じこと」を言ってるのか、、、

つまりそういうことなんだ。

 

瞑想で「脳の繋がり」がそうなると、

「同じ認知」に至るのだ。

 

~ ごあいさつ ~ ハチ@夢中

瞑想やってます。日記書いてます。 ウソかホントか、よく分からない話を読んでくれてありがとう。自分が「認知した世界」を少しづつ書き溜めてます。 (♪素敵なものが欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う 『JAM』THE YELLOW MONKEY) 自分の頭の中を覗かれるようで恥ずかしいけど、公開します。(後悔しません!) 「ここが違うよ!」「それは分かる」「合ってるよ!」何でもご意見・ご感想頂けると嬉し いです。(難しいことは分かりませんw)