私は「寂しいんだ」。「つらいんだ」、、、
そっちしか見えなくなるぞ!
強化してる。。
- 1. 「思考」は「わたし」ではない。。
- 1.1. 「何を認知するか」は自分で選べない
- 1.2. 「認知」→「判断」→「行動」の順
- 1.3. 「問題」を “認識してしまう” のは、「思考グセ」
- 1.4. 認知グセ
- 1.5. 反応してるだけなら虫といっしょ
- 1.6. 「比較」や「判断」が起こるのはしょうがない。
- 1.7. 「自分とは違う」と認知してしまうのが、「問題」の始まり
- 1.8. ものごとに順番つけたり、優劣つけたりするクセ、、、 #比較・判断・分別
- 1.9. 今の状況を瞬時に “感じて” 、「物語」を創り出す。
- 1.10. 「物語」はすべて「脳」が創り出すもの。
- 1.11. 脳は辻褄が合わないことを嫌う
- 1.12. 「神隠し」…「神の〇〇」と、「神」を頭につけたら納得する。誰が?
- 1.13. 「否定」するのは、自分にとって “都合が悪いこと” だから
- 1.14. 悪法(染みついた脳内ルール)は変えられない…
- 1.15. 「一貫性」を求めるのは「脳」であって、『理』はそうではない…
- 1.16. 脳は暴走するから、止めないといけない
- 1.17. 「幸せ」と「健康」の相関関係を切る。
- 1.18. 「心配」し過ぎたり、「恐れ」過ぎたりして、
- 2. 他にもいろんなものが、”ただの”「脳の機能」
- 2.1. 認知するものを否定し続けたら…
- 2.2. 「こうだったらいいな」と「事実」が、ごちゃまぜになってる…
- 2.3. 「認知の盲点」を突いた発言は、一見「正解」に思える。。
- 2.4. 酒飲むと饒舌になる
- 2.5. 「神の声が聞こえた」というのは、「認知が密」になって起こるただの「脳の機能」
- 2.6. 「抽象度高い」とは?
- 2.7. 専門家の強さ
- 2.8. 「永谷園のお茶漬け」をこの世界で一番美味しくすることは ”できる”
- 2.9. “「枠」を決められて” から始めるから、脳の機能が阻害されるんだ。
- 2.10. もっと「思考」は “ランダム” だ。それが自然。
- 2.11. 凄い悲しいことがあれば、次に出会う嬉しいことは、とても嬉しいし、、、
- 2.12. “息が上がってるとき” には、「許容範囲」が大きくなる
- 2.13. ルパンはアニメ。架空の物語。
- 2.14. 何で、”さとった” とされる人が、皆がみんな「同じこと」を言ってるのか、、、
「思考」は「わたし」ではない。。
「何を認知するか」は自分で選べない
自動の反応。
『在り方』による。(【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…)
「認知」→「判断」→「行動」の順
例)『オシムのビブス』(オシムは得点者よりも、囮になった選手を褒める)
「行動」は、「何を認知するか」によって決まる。
その「認知」が自動の反応。。
例)『自由意志などない』(【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?)
「問題」を “認識してしまう” のは、「思考グセ」
自動の「反応」
認知グセ
愚痴ばっかり言う人は、その認知が強化される。
脳がいつも愚痴を探してる
人生は「認知したもの」 “そのもの” です。(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」)
私の人生は「愚痴」でした。
私の人生は「○○」でした。
何で認知を埋めるのか?
起きた「事象」は何でも構わない
それを「どう認知したか」だ。
反応してるだけなら虫といっしょ
虫を卑下してるのではない。
でも、人間には「反応してる自分を観てる」という機能がある。(#観る)
これだけが他の生き物と違うところ。
AIにも無い。
「比較」や「判断」が起こるのはしょうがない。
(【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。)
それが「脳」のデフォルトだから。
でも、無限小の段階で気付いて「止める」ことが出来るのは、唯一「わたし」
それを瞑想でやってる。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、)
「自分とは違う」と認知してしまうのが、「問題」の始まり
区別、分別、優劣…
脳の機能の行き過ぎ(【#偏り】~「偏り」にいち早く気付き、解消する方へいく。)
ことばも…
ほんとうは “繋がってる” のに、切り離して見てしまう…
接着剤を無視するな!
「繋がっている」、「同じものだ」と観たときに、今まで見えなかったものが見えてくる
私の場合は、「世の中ぜんぶプロレスしてんだな」だった。
プロレスだと分かって、この世界に参加する(【#プロレス】~この世界をどう観るか?)
そしてその認知は、間違っている。
人によっては、映画と観たり、そこに「神」が登場してややこしくなったり、、、
でも自分にとっては「プロレス」が “しっくり” くる、というだけ。
ものごとに順番つけたり、優劣つけたりするクセ、、、 #比較・判断・分別
そういう風に見てると、、、
あれは美味しい、あれは美味しくない、、、
色んなものを “そういう風に” 見てしまうんだろうな
「特徴」を観よう。
こういうところが突出しているね、って。
今の状況を瞬時に “感じて” 、「物語」を創り出す。
「脳」が。
それが認知。
「物語」はすべて「脳」が創り出すもの。
この世界は幻です。というのも。。
神がいて、人間が居て、、も。
解釈は人それぞれ。
認知したものは、ぜんぶプロレス。
自分がどれだけ、「体感した」「実感した」「見た!」と言っても、それらはどこまでいっても「『脳』が見せたもの」。
「そんなの嘘だ!」「そんなの寂しい」と思うのもまた脳が創り出した物語。
以下続く(無限∞)
どこで止める?
脳は辻褄が合わないことを嫌う
それはもう必死で材料を探す。高速で、瞬時に答えを出す(これが「言い訳」)
「『時間』なんて無い!」なんて言ったもんなら、もう大変。
(【#「時間」は存在しない】~『時間なんて無い』とした方が、辻褄が合うことが多いし、 なにより、自分にとって都合が良い。)
でももし、辻褄を合わせるために、脳が『時間』を創り出してるとしたら…
あながち…
「神隠し」…「神の〇〇」と、「神」を頭につけたら納得する。誰が?
脳が。
脳は、「不安定な状態」を “嫌う” 。(#ゆらぎ)
どうにかして安心したい。(【#安心・安全が土台】~『安心・安全』だけを抱えて生きていく。)
そうやって、「事象」は “創られる” 。
「否定」するのは、自分にとって “都合が悪いこと” だから
悪法(染みついた脳内ルール)は変えられない…
DNAだから。
でも「認知を外す」ことはできる。
「認知を外す」←これは訓練。(#認知を「外す」)
「一貫性」を求めるのは「脳」であって、『理』はそうではない…
「信念」を曲げれない…
自分の間違いを認められない…
「信頼」が崩れるから…
本当にそうだろうか…
「間違ってました」「軌道修正します」と言えない人こそ、「信頼」が “欠ける” のでは?
「一貫性」を求めるのは「脳」であって、
この世界の『理』は、もっと「ランダム」で「移ろいゆくもの」。(#ゆらぎ)
この「違い」・「ギャップ」が、「不自由」になる原因。
本当はこうなのに、「脳」によって誤った見方をしてしまう…
「脳の機能」の “行き過ぎ”。(【#偏り】~「偏り」にいち早く気付き、解消する方へいく。)
脳を “道具の一つ” として使えてない。
脳に “支配されてる” としか言いようがない…
まったく「不自由」だ。
脳は暴走するから、止めないといけない
普通は気付けない、
「気づこう」と意識していないと…
それでもまた、いつのまにか暴走してる…
やっかいなもの
脳は暴走するから、止めないといけない。。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、)
「幸せ」と「健康」の相関関係を切る。
一切関係ないと。
それができないのであれば、「価値観」の上の方に「幸せ」を置かない。
どうせ「幸せ」なんて、ドーパミンとかセロトニンとか、、、「脳内物質の分泌具合」のこと。
そういう “誰かにあらかじめ仕組まれた” 「機能」とは、無関係で「わたし」は在れる、のもまた人間。(#わたし・自我)
「心配」し過ぎたり、「恐れ」過ぎたりして、
心身に悪い影響を及ぼしてると思ったら、、、
「あー脳の機能が暴走モードだなぁ」って、
気付いて、止めて、戻れば良い。
他にもいろんなものが、”ただの”「脳の機能」
認知するものを否定し続けたら…
「それは要らない。それも要らない。。要らねー要らねーあー要らねー」と。
自分にとって重要なことが変わる(【#ほんとうの欲求】~どう『在りたい』か。。。)
それでも「何か必要なものはないか」と、走り回るのが「意識」。
「こうだったらいいな」と「事実」が、ごちゃまぜになってる…
「認知の盲点」を突いた発言は、一見「正解」に思える。。
「意表を突いた」「気の利いた」「センスある」解答、、
そう思ってしまうのは、「快感」が走るから。
「認知の盲点」が埋まるのは、「脳(頭)」にとって「快楽」だから。(【#認知の盲点】~消すことはできない。必ず付いて回る(恐怖))
「脳」は “辻褄が合ってない” と “ムズムズ” する。「理屈」が欲しい。
「正解」かどうかは、また別の話し。。
認知はどれも、並列でただの認知。
「比較」しない。「評価」しない。「判断」しない。(【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。)
酒飲むと饒舌になる
普段、言葉が出ない俺でも…
『起きたことが正しい』(#因果が逆)
つまりそういうこと。
足枷から外れたら、認知が回復する(#認知の密度)
「瞑想」すると「思い付く」・「気付く」。言葉が出てくる。
「神の声が聞こえた」というのは、「認知が密」になって起こるただの「脳の機能」
「神の声」なのか「霊」なのか「地球外生命体の声」なのかは、人それぞれ。
「抽象度高い」とは?
Aは、「〇〇だという…」
Bは、「□□だという…」
Cが現れて、「結局どっちも▲▲だってことでしょ。同じだね」←コレ
丸く収める。抱き参らせる。包含する。許容する。
脳にはこんな機能もある。
専門家の強さ
TVで専門家が発言すると、他の出演者もその内容に意見が一方向に収束する
気持ち悪い
こうやって「集団心理」は作られていくんだな。
「永谷園のお茶漬け」をこの世界で一番美味しくすることは ”できる”
ただ、条件がある。
そう思える・感じれる ”状態” に『在る』かどうか。
“「枠」を決められて” から始めるから、脳の機能が阻害されるんだ。
〇時間以内、〇文字以上、、、
何も出てこないときもある。それが普通。←ここで苦しむ(苦しませられる)
不自然なんだ!
「集中できるだろ!」
、、、集中ねぇ…
集中は、 “認知を狭める” 方向に働く。(【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」)
「問題の渦中」にどっぷり “ハマって”しまう
「意識」は “解放” しないと…
もっと「思考」は “ランダム” だ。それが自然。
意識は揺らいでる。あっち向いたりこっち向いたり…(#ゆらぎ)
認知するものは毎瞬変わる。
だから思考も “一方向” はあり得ない。
凄い悲しいことがあれば、次に出会う嬉しいことは、とても嬉しいし、、、
♪なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう
『情熱の薔薇』THE BLUE HEARTS
「感情」も「相対的」なもの。
“息が上がってるとき” には、「許容範囲」が大きくなる
“小さなこと” は問題じゃなくなる(【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。)
それどころではない
ルパンはアニメ。架空の物語。
でも何だ?この感動は。
『起きたことはすべて正しい。』(【#理由は後付け】~自由意志なんて無い!?)
何で、”さとった” とされる人が、皆がみんな「同じこと」を言ってるのか、、、
つまりそういうことなんだ。
瞑想で「脳の繋がり」がそうなると、
「同じ認知」に至るのだ。