「認知が “密” 」 とは?
…認知の「網目」の細かさ…が “密” である。
私が、「瞑想」の後に如実に “変化” を感じるのが、「思い付き」や「思い出し」が繊細で、多くなることだ。それを表現したもの。
“認知の手前” には「フィルター」のようなものがあって、受取る「情報」の大小を “選別” してるように感じた。
“より密” であれば、受け取る情報・感覚は「細かく、多く」なる。
「感性」が鋭い、「感受性」が強い、「意識」が鋭敏、とも言える。
この「認知が密」という表現を通して見ると、いろんなことが腑に落ちるようになった。。
これって「認知の密度」の “はなし” では!?
「あまりに繊細で些細なことで傷付きやすい、、、」、、、?
繊細で傷付く?
これはむしろ、あまりにも「認知が雑」すぎて反応してしまっている状態。
「自我」が肥大化しすぎて、さまざまな「脳の機能」を阻害してるんだ。(【#脳の機能】~「思考」は「わたし」ではない。。)
認知が「偏ってる」から、「盲点」が出来て、、、それが「認知が雑」ということ。
(【#偏り】~「偏り」にいち早く気付き、解消する方へいく。)
(【#認知の盲点】~消すことはできない。必ず付いて回る(恐怖))
「自分を大事にし過ぎる」があまり、、、この世界を「穿った見方」で観てしまう。。。
「毎日お水を○㍑」という『 “定量的” 提案』の類は、あまりにも雑すぎる。。
「○㍑」では “多過ぎる” ときもある
「水分過剰」という東洋医学の概念もある。
常に「今の自分はどうか?」だ。
体水分量を自分で感じる
自分自身が「体組成計」で在れ。(【#意識の向き】~(外)向きか(内)向きか、それが問題だ。)
「試合勘」って、、、「認知の密度」のこと。
『在り方』を、試合のあの『緊張・拮抗』状態で在れるか。。
(【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…)
(【#緊張・拮抗】~夢中、ゾーン、フロー、さとり、、の「鍵」)
「多才」、、、宮本武蔵とか。
なんで「剣術」に長けてる人が、「書」とか、「彫り物」とか、「芸術」にも秀でるのか?
「認知が密」だから。
あらゆることに、気付いてしまう。
「本質」に。
一蓮托生に。
「人には優しくしましょう」じゃないんだ。
「認知が密」だと、”なってしまう” ものなんだ。(#因果が逆)
気付いてしまうから、人の痛みに。
自分の痛みと同等に。
文字でしか伝わらないこともあるし、伝えられないこともある。
“文字を一字一字追う” という「行為 “自体” 」が、(動画を流すように観るとは違う) “受け手” 側の認知に影響する
文字でこの世界を “明確に「区切る・切取る」” というのが、”受け手” 側の(心理)状態に作用することで、認知に影響する
どんなに日本語が多様であっても、、表しきれない。
「辛い」
からし、わさび、しょうが、、、が辛い。、、ぜんぶ違う。まったく違う。
「なんか違うな」は、「インパルスのコント『就職』」でのセリフ。
面白おかしく笑ってたけど、、、
「違和感」の話しだったんだ!深い。
周りは「感性」「認知」の重要性に気付いていない
「認知」→「選択」→「行動」 この順序が覆ることは無い。
世にあふれる情報は、「行動」ばかり
〇〇の方法、〇〇すべき、…(【#○○(す)べき】~「やるべきこと」は『減らす』方向へ。。)
「選択」が重要でも、「認知」の中から “しか” 選択できない。「認知」してなければ「選択」もできない。
本やネットで知識を得ても、それが ”自分には合わない” 、”結果出ず” 、が大半。
自分を蔑ろにした結果。
「感性」「認知力」があれば、気付く、一瞬で。
本やネットを探す手間は無い。
宮本武蔵「五輪の書」には、「奥義〇〇剣 ⚔」のような必殺技は書かれてない。
そんなことより、
見落としている「基本」を親切丁寧に深掘りしたのみ。
( ゚д゚)ハッ! 確かに!その通りだ!となることばかり。
自分基準で、自分中心で。
「自分はどうか?」を追求する。
「気が利く(外)」よりも「気が付く(内)」人に。
「認知を密」にすることが出来れば。。
「認知」が “増える” と、「扱えるもの」が増えてくる
「今まで見えてなかったもの」が見えるてくるから。
目の前にあったのに、使えなかった「道具」・「情報」、、、他
「高性能のスコープ」を持つようなもの
顕微鏡のように焦点をピンポイントで「拡大」したり、
360度全体を「俯瞰」したり、
「自由自在」に見れる、「スコープ」
認知が「繊細」であれば、「鈍感」にもなれる。
「鈍感なように “振る舞う” こと」もできる。『自在』に。
“逆” は無い。「鈍感」でしかないなら、「繊細」には成れない。
気配を消したり、現したり…状況によって自在に選択する。
認知が増えるというのは、→「問題解決」であると同時に、
「問題の発見」でもある。
より本質的な問題に。。(【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。)
瞬間々々、気付ける(「!」)ようになると、
その都度、「振る舞い(言動)を変える “チャンス” 」があるということ(「さとり」は一瞬)
たとえば、姿勢が崩れたら、なるべく早く正せる。その機会が多くある。
変えてもいいし、変えなくてもいい。その「選択の “チャンス” 」が無数にあるということ。
(外の)事象に流されない。
「反応」”しっぱなし” でない。
屋根裏の忍者の『在り方』
「いまここ」の情報をじっと忍んで受ける。待つ。受動。(【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…)
完全に「利己的」(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。)
自分の反応、認知を観察する(#観る)
「認知の密度」さえ上げとけば、あとは “待ってる” だけでいい
迎えに行く必要はない。
網目が細かいから、同じ事象を体験しても、引っかかる “もの” が多い。
ド~ンと座って、その選別をしていればいい
「それは自分とは縁がある、無い」、と。
「縁」があるものだけを扱う。
♪ 探しものが あるのではなく 出会うものすべてを 待っていた
♪ いつか どこか わからないけど なにかを好きになるかもしれない その時まで 空っぽでもいいよ
♪ 見えるものだけ それさえあれば たどり着けない答えは ないぜ
『生きる』ザ・クロマニヨンズ
今この瞬間の状況(情報)を正確に捉えようとしたとき、人間どうなるか。
「止まる」
屋根裏に居る忍者。
「認知が密」な “モード” になる
マリオのスター(★)取ったときの音楽が流れるような…
「認知を密」にするには、、
“元々” の「フィルターの目」は細かい
“ゴミ” が付いてくるんだ。
比較・優劣・判断、、、”ゴミ” め。。(【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。)
それらを取り除けば、、。
違和感「なんか違うな」を感じたら、変えてみる
状況・環境・方法、、、
「微細な変化」を感じて、なるべく早く「気付ける」ように。
良い感じなら、そっちに向かう。逆に悪い感じなら、なるべく早く、、、
変えるには「逃げる」も含む。
「行為」なんか何だっていい。
『在り方』を優先しろ。
「違和感」を感じるのは、「過去データ」があるからだ
「比較対象」が有ってのもの。
無きゃそれが “違和” だと「認知」出来ない。
そもそも自分に「 “良いね” と思える感性」が無かったら…
「幸せ」なんて一生感じられない。
ずっと追っかけたまま終わる、、
「重い」は “相対的” なもの
人生でどんどん「重たいもの」を背負い込んでどーする?
軽くしていくもんだ。
「重い軽い」は “相対的” なもの。
5kgのダンベル重いなぁと感じてたけど、やってたら「そ~でもないなぁ…」
この “相対的” な「重さ」を感じてなきゃならない
今の自分にとって重いのか、軽いのか。
「自分基準」じゃなく、「数字」ばかり見てるから、「重さ」に潰されるんだ。
「あれ?こんなに重いの?」
「意識」は常に自分の「感覚」に合わせておく。
「筋肉」を鍛えるんじゃない。「感覚の精度」を鍛えるんだ。
これ、”感覚すべて” に言えること…
(【#意識の向き】~(外)向きか(内)向きか、それが問題だ。)
どうやって「認知の密度を上げるか」は、大事だが、
「下がり始めに気付けるか」は、もっと大事。
「認知が密」なら気付けるのだが…鶏が先か卵が先か…
下がり始めたらあっという間。
『積み上げたものは一瞬にして崩れる』は理。