『在り方』は、「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…
つまり「起点」なんだ。。
▶【#因果が逆】~『在り方』→「認知」→「選択」→「言動」の順。
世の中の事象すべてが、 “取るに足らない” 問題になったとしたら。。
そんな『在り方』がいいなぁ。。
- 1. 何によって『在り方』が決まるのか?
- 2. いろんな『在り方』がある
- 2.1. 「ワダカマリがない」というのは、「矛盾」をも含んでいる。
- 2.2. 「矛盾」を抱えてても良いって、、、
- 2.3. 浅くていい。
- 2.4. 何が失望か 絶望か やり残したことなど無いぜ
- 2.5. 「持ち歌」一曲を “突き詰めて” いればいい。
- 2.6. ♪ぶきっちょでまっすぐ はいいんじゃない?
- 2.7. これでいいのだ
- 2.8. 食えなんだら 食うな
- 2.9. 「予定ゼロ」最強
- 2.10. 「準備はいいか?」
- 2.11. 何が起きても・起きなくても、「不足無し」の状態は、すべてを『許容』している。
- 2.12. 頭なんて良くならなくてもいい。そのままでいい。
- 2.13. 「全てをこのコートにおいてこよう」
- 2.14. 「俺は海賊王になる!」
- 3. 『在り方』の選択
- 3.1. いろんな『在り方』があっていいけど、、自分で選びたい。
- 3.2. どの『在り方』が一番良かったのか、
- 3.3. 他人の価値観に振り回されないように、自分の中に「絶対的な価値観」を持つ
- 3.4. 瞑想によって観えるものは人それぞれ…
- 3.5. 「プロレス」とは、踊らされてるのを “分かって” 踊らされること
- 3.6. 「どのように」行うか、は「何を」行うか、よりも常に大切です。
- 3.7. 「誰々だから」なんて、観方が雑すぎる。。
- 3.8. (『ほんとうのわたし』だと思ってる)「こいつ」(←自分のこと)を使って、この世界を、どう楽しむか?生き抜くか?
- 3.9. 「一喜一憂したらダメ!」とか「○○したらダメ!」っていうのは、違う。
- 3.10. 何か「やり方」があるんじゃない…
何によって『在り方』が決まるのか?
『在り方』は体調に引きずられる
“より大きなもの” には逆らえない。
気圧の変化…
でも “切り離せる” 。「無関係」に出来る。
「現象」は変わらなくても
「感覚」は、脳が創り出す幻だから。
食べ物に感謝できないのは、
空腹じゃないから…
ほんとに “そんな程度の理由” で『在り方』は変わる。
「尺度」を何にするか…
音楽(ヘビメタ)を聴くときに、
カッコよさを尺度とするなら、「かっけー」
速さを尺度とするなら、「はぇぇぇえ」
同じ音楽を聴いても、「尺度」によって、出てくる言葉は変わる。
カレーを食べて、
「旨っ!」って言うか、「辛ぇぇえ!」って言うか。
「縁起」というものは、あらゆる事象に “ついて回る” 。だけど、
『在り方』は、「過去や未来」とは切り離せる。
今この瞬間、変えることが可能。
いろんな『在り方』がある
「ワダカマリがない」というのは、「矛盾」をも含んでいる。
「矛盾」があってもいっこうに構わない。
なんの問題もない。
「矛盾」を抱えてても良いって、、、
たとえば、
“今の自分には” 、「まったくそう感じられない」・「実感がない」なら、そんなものは「無い」で正しい。
でも “ある日” 、「( ゚д゚)ハッ! これか!」という「実感」があったら、やっぱ「在る」で正しい。
“次の日” 、「あれ?昨日のあれは何だったのか…」、 “今日は” また「無い」。これも正しい。
「在る」も「無い」も抱えてる。それが「矛盾」。
「矛盾」があっても、『ワダカマリ』は “一切無い” 。
浅くていい。
そこで感動できないのが「トラップに引っかかってる」というんだ。
何が失望か 絶望か やり残したことなど無いぜ
状況・環境(外界)は、「わたし」とは一切関係無い。
雷雨決行だ!
♪ 何が失望か 絶望か やり残したことなど無いぜ
『雷雨決行』ザ・クロマニヨンズ
「持ち歌」一曲を “突き詰めて” いればいい。
そしたら「持ち歌」が増えていく。
♪ぶきっちょでまっすぐ はいいんじゃない?
♪ぶきっちょでまっすぐ はいいんじゃない?
『NATURALLY』吉井和哉
情報は少ない方がいい。。
「比較対象」が少ないから、エネルギーが分散しない。
▶【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。
これでいいのだ
これでいいのだ
バカボンのパパ
食えなんだら 食うな
死ぬときは死ねばいい
死ねなんだら 死ぬな
お前が決めるられることではない!
真賀田四季も、、、
「---私、自分が死ぬ日をカレンダに書きたいわ・・・。こんな贅沢なスケジュールって、他にあるかしら?」
『すべてがFになる』p497 真賀田四季
「予定ゼロ」最強
何もする必要ない → 何をしてもいい
「準備はいいか?」
「準備はいいか?」
「生まれつきOKだ。」
『オーシャンズ13』
何が起きても・起きなくても、「不足無し」の状態は、すべてを『許容』している。
「不足が無い」のに、なんでYouTubeとかTwitterとか見てるのか?
遊んでるだけ。暇つぶしに。
頭なんて良くならなくてもいい。そのままでいい。
うちのメス猫含め、すべての猫の ”髪型” が、いつまでも「五分刈り」で、そのままでOKなように。
「全てをこのコートにおいてこよう」
「全てをこのコートにおいてこよう」
『スラムダンク』安西先生
「俺は海賊王になる!」
なんの「根拠」も「自信」も、「実力」さえもない。
「不安」もないし、「期待」もしていないけど、それでも “なる” と決めた。
この瞬間の『在り方』
▶【#「時間」は存在しない】~『時間なんて無い』とした方が、辻褄が合うことが多いし、 なにより、自分にとって都合が良い。
『在り方』の選択
いろんな『在り方』があっていいけど、、自分で選びたい。
誰かに決められたのではなく、
流されたのでもなく。
どの『在り方』が一番良かったのか、
最初はつぶさに感じれないので、
その時の状況を記録しておく
感じようとしてると、そのうち深さを知る。
他人の価値観に振り回されないように、自分の中に「絶対的な価値観」を持つ
「誰々が○○したってー」「へぇ、そう。。。」と言いながら、心の中がグラつく。
何があっても、どんな状況であっても揺るがない価値観。
それは。。。
『価値観なんて無い』
価値観とは、、、なんて考えることが無い。
そんなものに右往左往しない。
存在しないゆえに認知せず。
認知しないから、揺るぎようがない。
価値観なんて無ぇ。今しか無ぇ。
瞑想によって観えるものは人それぞれ…
神が観えたり、宇宙と繋がったり、スピリチュアルな何か…
観えるものは、一人一人違う
だからいろんな宗派ができるわけで…
そんなものに囚われてはいけない。
認知したものは、全部、脳の機能が創り出した “辻褄合わせ”。
「映画」や「プロレス」のように楽しむだけ楽しむ「あー面白かった」
そしたら「もう要りません」と捨ててしまえ。
認知したものに意味はない。坐ること、そのときの『在り方』そのものにこそ意味がある。
「プロレス」とは、踊らされてるのを “分かって” 踊らされること
♪同じアホなら踊らにゃ損損
もちろん踊ってる最中は「無我夢中」。
「どのように」行うか、は「何を」行うか、よりも常に大切です。
「どのように」行うか、は「何を」行うか、よりも常に大切です。
『超シンプルなさとり方』
「誰々だから」なんて、観方が雑すぎる。。
「誰であるか」よりも、『在り方』。
その人にも、変化するさまざまな『在り方』がある。
今、どの『在り方』なのか?
(『ほんとうのわたし』だと思ってる)「こいつ」(←自分のこと)を使って、この世界を、どう楽しむか?生き抜くか?
という『在り方』。
「一喜一憂したらダメ!」とか「○○したらダメ!」っていうのは、違う。
『在り方』が変われば、「一喜一憂しなくなってしまう」だ。
「○○したらダメ!」と思ってるうちは、一生変わらない。
「方法・手法・考え方」ではない。『在り方』なんだ。
▶【#○○(す)べき】~「やるべきこと」は『減らす』方向へ。。
何か「やり方」があるんじゃない…
『在り方』があるだけだ。