2023年02月~
「なんで急にこんなこと思ったんだろう?🤔」あきらかに瞑想によって得られる認知。
単なる「思い付き」とは言えない。
だって、『結論が先に分かって、後から論理・理屈に出会う』、そんな経験が多いから。
ここに書いておこう。。
- 1. 「学者、研究者」に “成りたいのではない” 。
- 2. ここ数日、ずっと何も思い付かないし、欲求も無かった…
- 3. いつかは、過去(積み上げたもの)も未来(希望)も、今、この瞬間さえも、消えて無くなるときが来る。
- 4. 「何者か」を決めるのは他人。
- 5. 「 “狭めない” 方向」に “尖っていく” 、そうすると、、、
- 6. 「バカでいい」と、ほんとうに “手放せたとき” に、認知が高まる
- 7. 毎日が、『ドレミファ大丈夫』だったら、、、
- 8. 時間があったら優先してやるのは、、、
- 9. ここ最近の「毎日の楽しみ」は。。。
- 10. 良く『在ろう』ともがいてたことに “OKを出す”
- 11. 認知するものすべて(思考・感情・感覚・外界)、
- 12. 「風が気持ちいい」とか、「心地よい」とか、それすらも認知したら “即離れる”
- 13. “ナレーション聞きながら” 瞑想なんて出来るわけない。
- 14. やがて「思考」が止まったと思ったら、意識(認知)は気付いたら「感覚」に移行してる。
- 15. 「できるだけ早く」…とは、
- 16. 意識が鮮明になり、目が覚める、寝れないw
- 17. 最初の頃は、配分というか、微調整が難しい?
- 18. 「感情」は “悪” ではない。
- 19. 何かしなきゃ、どこかへ行かなきゃ、気分が上がらない…
- 20. 「世の中の事象」や「思考グセ」に流されて生きるのか、
- 21. 止める…「!( ゚д゚)ハッ!」っと気付いて “引く” 。
- 22. 「振る舞える」まで達しないと、実用的ではない?
- 23. いつまで「振舞えば」いいんんだ?
- 24. 「反応」はしてしまうもの。でも、反応したことに
- 25. 「知識を得る」よりも、まずは「瞑想」すること。
- 26. 「尖る」と “チヤホヤ” される
- 27. じっとしてても豊かさを感じられる感性を
- 28. 「 “つじつま合わせ” の仕事」は続かない
- 29. 競争に組み込まれていながら、いかに競争から逃れるか…
- 30. 皆んな、それぞれ、「今、これでいいんだ(不足なし)」としてていいんだ。
- 31. 頭が涼しいとき、、、両方あるぞ。。
- 32. 今の自分の態度に「?(疑問)」をもったのなら、、、 #『在り方』(在りよう)
- 33. 「私は運が良い」と “思い込む” とか、
- 34. 「思い込み」はどうせすぐ覚める。
- 35. ブログに書いてるのは、私のほんの一瞬「!」を捉えた世界。
- 36. あーすればいい、こーすればいい、、、
- 37. あんまり “気にしなくていい” こと「リスト」
- 38. 「思考」することで、元々自由だった「認知」を邪魔してる
- 39. 価値観「一つ」では、危うい。
- 40. 自分の中で「ワダカマリがない」状態でいかにいられるか
- 41. ずっと “止まらない” から、この「世界が在る」
- 42. “飽和してる” 今の世で、「もっともっと」と言ってる奴は、あんまり信用しない方がいい。。
- 43. 自分の中にどれだけ「豊かな世界が在る」と気付けるか…
- 44. 許容するには、器を拡げなきゃならない
- 45. どこまで “無限小” の「・点」に近づけたか、が、「瞑想の深さ」
- 46. 自由意志は無い…じゃあ、”反応の起点” を捉えようとしてる、
- 47. いつも「張って」 “見せて” いるより、「緩んで」 “見せて” いたい。
- 48. 常に「認知の外側」に居ることが、どんだけ凄いことか、思い知るが良い。「ガハハハッ」
- 49. 「感動する」ってなんだろう?
- 50. 「認知しているもの」で、人生は創られていく
- 51. 「辛い」「不幸だ」も相対的なもの。
- 52. 「 “生きること” が最も最優先されるべき」だと、産まれてすぐ死んだ子に言えますか?
- 53. 『在り方』の推移・移り変わり、、、
- 54. 「結果」とは、唯一、”死ぬ間際” のこと
- 55. 「人を許そう」とすると、抵抗が走る
- 56. 従うなら『理(ことわり)』
- 57. 「正義感」は気持ちいい、、、
- 58. 「他人の認知」は “気にすることはない” けど、
- 59. 本当に『存在してる』なんて、どーやったって確認出来ない
- 60. 原因・要因だって、変化するもの
- 61. 安心して無思考で居ればいい
- 62. 「切羽詰まったとき」が一番生きてる実感がする
- 63. コレをやりたい!
- 64. ずーっと実験中
- 65. 自分のキャパを超えてまで奪いにいくと、最後にするのが、「自滅」
- 66. 「受け入れる・許容する」が良いのは、、、
- 67. 「さとり」なんてものは、一番上に鎮座してるものではなくて…
- 68. どんだけ「認知を外せる」か。。。自分が「何人(国)か?」とか。。
- 69. 「偏り」を解消するように動く、、、これが『理』に背かないこと?
- 70. 病気になったら、病気に本気で向き合えばいい
- 71. 涙なんかに意味はない…反応してるだけ
- 72. 人間は、「矛盾」 “発生&拡声” 機。
- 73. 心理学っていうのは、
- 74. 「感情をあらわにする人」が好かれるのは、
- 75. 事象は次から次へと、自分の意志とは無関係にやってくる。
- 76. 「客観性」などない。
- 77. もし自分が元々 “そう” だったら、”そっち” 行ってたかもしれない。。
- 78. 生きることを潔くあきらめて、
- 79. 自分があまりにも “鈍感” だから気付けた
- 80. 「認知の密度」が “粗い” から、そこに気付けた。
- 81. 最初は “ぎこちなく” て当然
- 82. すぐ「品格」を上げたがる…
- 83. 思考してないと、一見バカに見える…
- 84. 認知を楽しむ
- 85. 瞑想は「外界」と一時的に “遮断” して、そこに「聖地を創る」感じかな。。
- 86. 強度の高いこと・環境に身を置くことで、自己を変えることが出来るのか?
- 87. 意識的でいる=見張っている=緊張・拮抗状態でいる
- 88. 瞑想も、より深い体験をすれば、進みは早くなる?
- 89. 「さとり」とは、、、「瞑想」による「自分づくり」
- 90. 「予想」って、要る?
- 91. 認知が及ぶか及ばないか、それだけが問題だ
- 92. 外食することがなくなった。
- 93. 「利他的」なんてありえない?
- 94. (実体が)無いものを、「有るっ!」って言ってるから苦しむんだ
- 95. 誰が何と言おうと、
- 96. 「脳の暴走」を止められない「一個人」と「人間社会」
- 97. 最終的には、「知識」は “手放す”
- 98. 瞑想は、「観想」にまで昇華してこそ日常で役に立つ?
- 99. 奥へ奥へと、もっと「俯瞰」できるところへ…
- 100. 「過去」も「未来」も関係ない、『在り方』に於いては。
- 101. 過去の自分は、今の私ではない
- 102. なかなか”さとり”に向かえないなぁ、ってときは、
- 103. 「昔」より、「今」のほうが圧倒的に “さとりやすい” 環境にあるだろうな…
- 104. 「思考」や、肉体の「感覚」すら『外界』
- 105. 「睡眠」よりも、「瞑想」のほうが「頭」も「心」も “クリア” になる
- 106. 繰り返し本読んでてもまだ「気付き」があるということは、
- 107. 適度な負荷(ストレス)が欲しくなった。。
- 108. やっぱ、「比較」「評価」「善悪」「判断」しないと、ミーセンターが働かないようだ
- 109. 「気づいたとき」だけ『自我』が一歩下がる
- 110. 自分の中に、いろんな(脳の?)状態があることが分かる
- 111. 長年強固に築かれた “「自我」の牙城” を、
- 112. 一人カラオケで、「ハモろう、ハモろうとしてる」のと、
- 113. 「外しても外しても」… #認知を「外す」
- 114. 自分とは『縁』の遠い「問題」を、
- 115. 自分の中で、なんの “わだかまり” も無いから、外へ外へ進んでいける
- 116. まず自分を満たす
- 117. 瞑想体験をブログに書いてるが、なぜこんなにも、(自分にとって)何のワダカマリがないのか?
- 118. 誰かとしゃべってるとき、”さとり” には決して至れない。
- 119. 「利己的であればいい」というのは、結局、、、
- 120. 「センス」の正体は『認知の密度』
- 121. 結局、苦しみ・問題を消すこと。
- 122. 人生でやることは、「認知を密にすること」以外ない!
- 123. 世界征服すること(外)と、自己をコントロールするのと(内)は、
- 124. 何を認知するか、自在でありたい。
- 125. 禅問答でも写経でも座禅でも…一心不乱になにかする。
- 126. 瞑想とか、なにか一つのことに集中することが、終着駅ではない。
- 127. 瞑想は、自分の中の「わだかまり」を解消すること
- 128. 瞑想なんて、UNIQLOのtシャツと短パンで、寝転がってやったらいい
- 129. イスから落ちそうになった、、、まさにその瞬間!
- 130. 完全に止まるのは難しい、、、というより無理
- 131. 『夢中』っていうのは、『緊張・拮抗』状態だ!
- 132. 「はじめにことばあり」←隠してる、トラップだ
- 133. 趣味は瞑想。と履歴書に書けない。誰かに気軽に話せない。
- 134. ドロボーが金庫のダイヤルを合わせにいくときの、真にその状態。
- 135. 止める、観る、ずらす、外す…そうやって、いろんな発見があることを楽しんでやれてる
- 136. 「さとり」は「認知が密」である “状態”
- 137. 「自転車に乗る」のと同じ “理屈” だけど、
- 138. 「希望」が “在る” から「絶望」が “在る”
- 139. 「自分で構築したもの」は “弱い”
- 140. 深いさとりの状態で得た認知。
- 141. 「認知を外し」続けると、問題が見えてくる
- 142. 「自分が自分にレッドカードを出せるか?」というのは、
- 143. 首の皮一枚がいい
- 144. 「バカ」も「狂気」も「弱気」も「真理」も「哀しみ」も…ぜんぶ入り!プロレス!
- 145. 一点においてのみ「超利己的」であるが『自我』はない
- 146. 何と闘ってんだ?。。ちゃうちゃう相手が違う!
- 147. 一人が自分の問題、『安心・安全』だけを扱い、
- 148. 感度が繊細で敏感で、すぐに反応してしまう…
- 149. 「誰かの問題」をずっと解決してるからダメなんだ
- 150. ずっと分かんなかった、、、「切り替えろ!」って、
- 151. 出る言葉が “その瞬間の” 自分の世界だ!
- 152. 「腹八分目」じゃないと、『緊張・拮抗点』を感じれない
- 153. いつか、道端に咲く花を見て “笑顔になってしまう” 自分を、
- 154. 危機にひんしたとき、なにかに囚われてると、
「学者、研究者」に “成りたいのではない” 。
「ただそれを使いこなしたい」。 “理解はせず” とも。
ここ数日、ずっと何も思い付かないし、欲求も無かった…
体調が悪いことから来てるものだと当たりをつけて色々やっては見たが…
自分の身体、感情、思考…自分では決まらない。
もっと大きな外界の要因によって左右させられるもの。
ただ見過ごすしかない
抜けれたのは、自分のメモ、ブログ。
自分って良いこと言ってるなぁ。。
そりゃそうで、すべて自分に向けて言ってるメモ、ブログだから。
具体的には、行動を縛り付けていたものが何なのかに気付いたとき、抜けた。
その前に映画をみた…
【関連記事】▶ 映画『コンフィデンスマンJP英雄編』をAmazonプライムvideoで観て、気分を変えようと思った。。
いつかは、過去(積み上げたもの)も未来(希望)も、今、この瞬間さえも、消えて無くなるときが来る。
抗えない。コントロール出来ない。
その心持ち( 在り方 )で対峙してたら、あらゆる事象が “愛おしく” 感じれる。
それをいつやるのか?まだ待つのか?
かまけてる場合じゃない…
「意識」はエネルギー。無駄なことに使わない。
「何者か」を決めるのは他人。
自分で限定しない。
本来そうじゃない?
「天職」なんてあり得ない。思い込み甚だしい
「何をしてる人ですか?」
「なにかしてる人です」としか言えない
自分ですすんで狭めない。
「 “狭めない” 方向」に “尖っていく” 、そうすると、、、
生きやすくなっていく
「絶対、”狭めない” ぞ!」
「バカでいい」と、ほんとうに “手放せたとき” に、認知が高まる
「あ〜バカで良かったぁ」
毎日が、『ドレミファ大丈夫』だったら、、、
♪ 誰にも内緒でお出かけなのよ どこに行こうかな
『ドレミファだいじょうぶ』B.B.クイーンズ
時間があったら優先してやるのは、、、
『在り方』が変わる「瞑想」
いつでもすぐに入れるように、早く深められるように。
ここ最近の「毎日の楽しみ」は。。。
「もののふさんが、バッタバッタと二の矢を斬りまくる」
「絶対安心」づくり。「ぬか漬け」みたいなもん。。
▶【#安心・安全が土台】~『安心・安全』だけを抱えて生きていく。
「結果なんか知らね」の精神で。
良く『在ろう』ともがいてたことに “OKを出す”
『今ここ』に居ようとしたことに “満足する”
『思考しない』と努めたことに “良しとする”
▶【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…
認知するものすべて(思考・感情・感覚・外界)、
『わたし』と切り離す。
無関係だと。
無限小の段階で「!」気付く
暴走しだすと止まれない
別のもっと強烈な何かに出会わないと…「カーツ」とか…
「風が気持ちいい」とか、「心地よい」とか、それすらも認知したら “即離れる”
とにかく認知したものすべてを「わたし」とは無関係だと切り離す。
「 “感覚を存分に味わう”」 、、、なんてもってのほか。
感覚と「わたし」を切り離したいのに。。
“ナレーション聞きながら” 瞑想なんて出来るわけない。
ナレーション(=外の現象)と「わたし」を切り離さなきゃならないから。
瞑想は、完全に「 “内部” の自発的行為」だ。
やがて「思考」が止まったと思ったら、意識(認知)は気付いたら「感覚」に移行してる。
いつ移行したか、その切り替わった起点を捉えようとする。
できるだけ早く、「無限小」に。
「できるだけ早く」…とは、
日常よりも「高い負荷」をかけてる、ということ。
意識が鮮明になり、目が覚める、寝れないw
最初の頃は、配分というか、微調整が難しい?
内の意識と、外の意識。
内優位で居る。
▶【#意識の向き】~(外)向きか(内)向きか、それが問題だ。
「感情」は “悪” ではない。
愛すべきもの
何かに一生懸命怒ってる私は可愛い。。(←許容・包含)
▶【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」
“悪” として「対峙」するのは、不利益な『在り方』だ。
何かしなきゃ、どこかへ行かなきゃ、気分が上がらない…
まったく「不自由」極まりない。
「現象」は、自分の「意志」とは「無関係」にやって来る
それに振り回されるだけの人生か?
「世の中の事象」や「思考グセ」に流されて生きるのか、
“見たい世界” だけを見て生きるのか。。
それはそれでいいとして、、、問題は、
“見たい世界” が「狭い」か「広い」かだ。
▶【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」
止める…「!( ゚д゚)ハッ!」っと気付いて “引く” 。
気付いた「わたし」に意識を引いて合わせる
「意識を引く」は比喩。こんな感じ…
思考や感覚に巻き込まれない
「振る舞える」まで達しないと、実用的ではない?
眼の前の現象に、飲み込まれなくなったとしよう。
意識を内に向けられるようになった。
だけど、人の話を聞いてるとき、しかめっ面で笑顔が作れなかったら、
「なんだコイツ〜」って思われるw
いつまで「振舞えば」いいんんだ?
ずっとだ。人生、生きてる限り、ずっと。
それでは自分を殺して、、、
そもそも自分なんか無い。
「反応」はしてしまうもの。でも、反応したことに
“いち早く気付く” ことができる。
「知識を得る」よりも、まずは「瞑想」すること。
知識は、ある個人の認知に過ぎない。「それってあなたの感想ですよねぇ」
「意識」がどうとか、「認知」がどうとか、、、ごちゃごちゃ言ってる奴には近づかない方がいい、、、
「尖る」と “チヤホヤ” される
一部の人だけに…
生きづらく、理解され難い。
さとりも。
両方知ったうえ(包含・許容)で、『緊張・拮抗点』にいたい。
▶【#緊張・拮抗】~夢中、ゾーン、フロー、さとり、、の「鍵」
そしてプロレスに戻って参加しろ。
そしてプロレスを楽しめ。
最終的には…さとって “いよう” が、”いまい” が、「どっちだっていい」。両方「包含」する。
▶【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」
じっとしてても豊かさを感じられる感性を
どうやったら問題を無くせるか
▶【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。
認知するものすべて「要らない…」
脳内の回路を…
「 “つじつま合わせ” の仕事」は続かない
「矛盾」は承知で、”出す側” で居る
ただ出すだけ。
そっちの方が「自然」で楽。
そして「ワダカマリ」が一切無い。
「矛盾」をも許容している。
競争に組み込まれていながら、いかに競争から逃れるか…
終わらない「追っかけっこ」
皆んな、それぞれ、「今、これでいいんだ(不足なし)」としてていいんだ。
何があっても、何がなくても。。
頭が涼しいとき、、、両方あるぞ。。
こんなことしてて何になる?っていう「絶望」と、
▶今、「こんなことやってて大丈夫だろうか?」「もっと他にやるべきことがあるんじゃないか?」そう思ったときの対処法。
これで良いんだ。この『在り方』で。っていう「希望」が。
それだけじゃない。二極ではない。もっと幅広く、奥深い。
飲み込まれてない。笑顔も自然に作れるぞ。
今の自分の態度に「?(疑問)」をもったのなら、、、 #『在り方』(在りよう)
『在り方』が違ったんだ。
「私は運が良い」と “思い込む” とか、
「きっと大丈夫」と常に “言い聞かせる” とか、、、
そんなもんじゃねぇ。。
「思考」さえ止めることができたら、
「今のままでOK🙆」だったんだと、”勝手に” 思って “しまう” から。
「思い込み」はどうせすぐ覚める。
「事実」だけを真としろ。
『起きたことはすべて正しい』
ブログに書いてるのは、私のほんの一瞬「!」を捉えた世界。
いつもの私は「!」以外。
▶【#「さとり」は一瞬】~「!」「!」「!」、、、「気付き」の連続。
「さとり」と、健康であるかどうかとは、無関係。
あーすればいい、こーすればいい、、、
雑なんだよなぁ。。
もっと精密な意識の管理が必要だ。
あんまり “気にしなくていい” こと「リスト」
、、、
ほとんど全部それ( “気にしなくていい” )。(←真実)
我が道を行け!迷わず。
「思考」することで、元々自由だった「認知」を邪魔してる
制限かけてる。ストップしてる。
ほんとうは「何かをしたい」はず。
「生きたい」以上の「何か」を。
「生きる」と「ほんとうの欲求」の狭間で…
価値観「一つ」では、危うい。
それがダメなら、「絶望」か?
そんな価値観 “捨てて” しまえ。
自分の中で「ワダカマリがない」状態でいかにいられるか
「理解」した瞬間、”無くなる” のが「さとり」
▶【#「さとり」は一瞬】~「!」「!」「!」、、、「気付き」の連続。
「論理」や「言葉」の世界にいると、「矛盾」で身動きできなくなる。。
ずっと “止まらない” から、この「世界が在る」
「偏り」を解消し続ける
止まったら、もう世界は無い。
「観測するもの」も、「観測する対象」も無くなるから。。
“飽和してる” 今の世で、「もっともっと」と言ってる奴は、あんまり信用しない方がいい。。
「偏り」は解消される方向に働くから。
自分の意志とは関係無く、もっと大きな力が働く。
▶【#慣れ】~「飽きた・慣れた」は、意識のゆらぎの中で、偏りすぎたサイン
自分の中にどれだけ「豊かな世界が在る」と気付けるか…
築けるか。。
気付けるか。。
許容するには、器を拡げなきゃならない
▶【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」
どこまで “無限小” の「・点」に近づけたか、が、「瞑想の深さ」
『わたし』が “無限小” の「・点」であるということに。。
自由意志は無い…じゃあ、”反応の起点” を捉えようとしてる、
“「時間」をなるべく細かく認知しよう” とするのが…
【関連記事】▶ 「思考」の「起点」 #瞑想日記
いつも「張って」 “見せて” いるより、「緩んで」 “見せて” いたい。
でも、ちゃんと中には『緊張・拮抗』状態が在る。
常に「認知の外側」に居ることが、どんだけ凄いことか、思い知るが良い。「ガハハハッ」
まず、「絶望」しないでしょ。
必ず「抜け道」が見つかってしまうから。
「感動する」ってなんだろう?
映画を観て、小説を読んで。
今の認知の外側、俯瞰して観れるような『在り方』になることだ。
問題が(相対的に)縮小される。
▶【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。
「認知しているもの」で、人生は創られていく
「現象」はそれを “表してる” に過ぎない
「辛い」「不幸だ」も相対的なもの。
▶【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。
「 “生きること” が最も最優先されるべき」だと、産まれてすぐ死んだ子に言えますか?
状況によるでしょ。
「固定された価値観」なんて信じない。変わる。。一瞬で。
『在り方』の推移・移り変わり、、、
それも観察対象。
「結果」とは、唯一、”死ぬ間際” のこと
生きてるうちに起こることはすべて「過程」
「人を許そう」とすると、抵抗が走る
「許す」のは、自分の意思に寄らない。
『在り方』が変わるから、結果、「許してしまう、、」だ。
従うなら『理(ことわり)』
「国」や「人」ではない。
あるとき、ある特定の人が示した「言葉」や「概念」でもない。
「正義感」は気持ちいい、、、
「自分がどうか」しか分からない。。
もう「偽善」はやめよう
偽善はある。行き過ぎた偽善はやめよう。
道徳や正義を語り出したら、黄色信号だ。
飲み込まれるか、もっと強化に加担することになる。
放っとけ。
「他人の認知」は “気にすることはない” けど、
「自分の認知」もたいがい “当てにならない” 。。
本当に『存在してる』なんて、どーやったって確認出来ない
なのに、モノに執着するって、、、どうなん?
原因・要因だって、変化するもの
なんなら次の瞬間にも。。
大事なのは、こういう「変化するもの」に “捉われない” こと。
「今、変化した!」ことに気付ける方が、よっぽど重要。
安心して無思考で居ればいい
どうせ考えてしまうから
「切羽詰まったとき」が一番生きてる実感がする
▶【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…
コレをやりたい!
職業だったり、趣味だったり…
もっと曖昧で漠然としてていい、ジャンルとかカテゴリーとかには。
そこは「区分 “しない” 」。
▶【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。
明確なのは、方向。これは尖らせる。
「それではない、それでもない…」と。
「わたし」はこうだ!と決めつけない。そうじゃないのだから。
ずーっと実験中
自分がどう反応するか?
「只今、実験中です!」
死ぬまで。
自分のキャパを超えてまで奪いにいくと、最後にするのが、「自滅」
自滅するやつ見てると、ある共通点が。
自我の暴走。
キャパを超えてることに気付かない。
痛々しい…
「受け入れる・許容する」が良いのは、、、
もう原因を “探さなくて” よくなること。
これが最も負荷が大きい。
答えが分からないのに、しらみつぶしに当たってみて、結局、ほんとうにそうなのか、ハッキリと分からないというのが、いつものオチ。
▶【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」
「さとり」なんてものは、一番上に鎮座してるものではなくて…
あらゆるところでふわふわ浮遊しているようなもの。。
▶人生は、「。。のようなもの。。のようなもの。。のようなもの。。∞」
どんだけ「認知を外せる」か。。。自分が「何人(国)か?」とか。。
「偏り」を解消するように動く、、、これが『理』に背かないこと?
「偏り」を間違えてはいけない。
それが自分にとって「解消すべき偏り」なのか?
病気になったら、病気に本気で向き合えばいい
「どうやったら “病気” を認知から外せるか?」と。
▶【#「今できること」しか出来ない】~一度つながった『縁』は切れない。
涙なんかに意味はない…反応してるだけ
頭では分かってるんだ。これ(現象)で悲しむのはオカシイと。
「世界はいつも正しく周ってる」って、分かってるのに…
そこに気付いたら、「涙なんかに意味はない」と思えた。
そう「 “思える” とき」と、「 “思えない” とき」を行ったり来たりするんだろう。
そして、周期が段々と短くなっていき、やがて「涙なんかに意味はない」に収束するのだろう…
そのとき、ほんとうに、正しく観れてる状態に『在る』。
人間は、「矛盾」 “発生&拡声” 機。
「矛盾」を産み出し、拡散する。
「ことば」を発すれば「矛盾」が生じる。
「問題」を自ら増やす愛おしいポンコツ機械
ことばを発するとは、「区分」すること
「これが善だ!」と言えば、同時にそれ以外、つまり「悪」が生じる。
善をくっきり・はっきり認知すればするほど、悪もまた、くっきり・はっきり。
▶【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。
心理学っていうのは、
実験結果が知れ渡ってしまったら、もうその理論・理屈は通用しなくなる
そのことを知ってる人たちが、次に同じ実験したとき、どう反応する?
俺みたいな天邪鬼は、「絶対そうはしないぞー」ってなる。
「人間は○○だ!」って言える、不変の真理ではない。
「ビーカーの中の水の温度は、決して正確には測れない」のと同じ。
温度計が水に触れたときに影響を及ぼしてしまうから。
あらかじめ温度計の温度を測れない。
「感情をあらわにする人」が好かれるのは、
「脳」が “曖昧を嫌う” から
ただそれだけのこと。
ハッキリと示してくれる「宣伝CAR🚙」を好く
でも私は、正直に「分からない」の方が信用する。
分かったけど、もしかしたらほんとうは分かってないんじゃないか?という引っ張り合いに居る人のほうが。
▶自分にレッドカードを出せるか「
事象は次から次へと、自分の意志とは無関係にやってくる。
「客観性」などない。
「科学的根拠」を取り上げてることが、既に「主観」。
なぜそれを取り上げた?
「選択肢」はもっと有ったはずだ。
どこどこの神様⛩はこう言ってました…
宇宙人👾は言ってました…
占い師🔮は…
隣の兄ちゃん😎が…
どれも同じ「選択肢」の一つ。
「優劣」は無いし、それは誰か一人の「感想」でしかない。。
もし自分が元々 “そう” だったら、”そっち” 行ってたかもしれない。。
イケメンだったら。。
論理・理屈が得意だったら。。
鋼の精神だったら。。
屈強な肉体を持って生まれていたら。。
みんな収まるところに収まっただけ。
生きることを潔くあきらめて、
今この瞬間にシフトする
生きることは「委ねる」
自分があまりにも “鈍感” だから気付けた
「なんで自分はこんなにも鈍感なんだろう?」って、
本気で思うから、大きな問題として扱うようになった。
ここに、理由などない。
必然的な流れしかない。
これが「ほんとうの欲求」か…
廻りに「夢中」とか「さとり」何かを問題にしてる人はいない。
多くの人にとって、それが問題ではないということ。
皆んな既に “さとってる” からだ。
自分はこの問題に取り組もう。。
「認知の密度」が “粗い” から、そこに気付けた。
初めからそうじゃなかったら、それを「問題」としては見えない。
▶【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。
最初は “ぎこちなく” て当然
「思考を使わない」でいるって、、、
でも、「自転車」だって最初はぎこちなかった。
リハビリ期間、微調整期間が必要
今まで頭を使って生きてきた→使わないでいく
“使う部位” が変わったんだから。
どっちがいい悪いではない
偏らない
すぐ「品格」を上げたがる…
逆、逆。下げる方向で。
「トラップ」だっつーの。
思考してないと、一見バカに見える…
分かってやってる。
それが自然で楽なんだと。
バカに見られたくないと、賢く居ようとしてる者ほどバカに見えてしまう。「分かってないなぁ」って。
バカの中にいるから、自分がバカだと気付けない。一回外に出てみ。
悩んだり苦しんだりしてるのがその証拠。
頭良かったら、問題も苦しみも解消してしまう。
認知を楽しむ
ホラー映画のような「恐怖」を味わう
ファミリー映画のような「温かい気持ち」…
プロレスとして、、、
瞑想は「外界」と一時的に “遮断” して、そこに「聖地を創る」感じかな。。
強度の高いこと・環境に身を置くことで、自己を変えることが出来るのか?
あまりにも「緊張・拮抗」状態から離れると、「 “過度な” ストレス」が発生して、積上げたものが一瞬で崩壊する。
▶【#緊張・拮抗】~夢中、ゾーン、フロー、さとり、、の「鍵」
意識的でいる=見張っている=緊張・拮抗状態でいる
油断すると、すぐにズレる(=意識のゆらぎ?)
無限小の段階で気付く
止まっているから気付ける
何かに囚われていない状態
「わたし」は〇〇ではない
完全に止まっている「わたし」だから、ちゃんと観察できる
瞑想も、より深い体験をすれば、進みは早くなる?
負荷をかけるといっても、筋トレのように、ストレスが発生することではない
ただ意識を向け続ける
「さとり」とは、、、「瞑想」による「自分づくり」
「脳の可塑性」を使った。
「予想」って、要る?
必要かなぁ?
「!」あぁそうか!楽しみか。この世界を楽しくするための。
「プロレス」の感じか。。。納得。
認知が及ぶか及ばないか、それだけが問題だ
故に、ぜんぶ「自分の問題」として扱える
▶【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」
外食することがなくなった。
「美味しい」というのは、 “自分で手に入れることができる” と気付いたから。
「永谷園のお茶漬け」が同じだけ美味しいときがあるし、それをコントロールできると知ったから。
ちなみに、「北の〇〇ラーメン」最高
レトルトを温めるだけでプロの味
それよりも何よりも、腹空いてたら、何でも美味しい
どんなに美味しいもの食べても、”一瞬のこと” で、また “あいも変わらず” お腹は空く。
「不足」を感じる。、、、キリがねぇ。
「外食」するときは「プロレス」をするときだ。「味(だけ)」じゃねぇ。
「利他的」なんてありえない?
相手が「 “ほんとうに” どう思ったか」なんて分からない
分かるのは「自分の “感じ” 」だけ
奉仕した「自分の満足感」
「利己的」でしかありえないのでは?
寂しい見方?、非道徳的?…
??…そうじゃなく、ただちゃんと見たい。歪めずに。
あくまで分かるのは、
「自分」の認知、、、思考、感情、感覚、行動…【原因】
「外界」の認知、、、状況、環境、他の動き…【結果】
(実体が)無いものを、「有るっ!」って言ってるから苦しむんだ
「わたし」とか、「自信」とか、「時間」とか…
▶【#「時間」は存在しない】~『時間なんて無い』とした方が、辻褄が合うことが多いし、 なにより、自分にとって都合が良い。
「自信」はエンタメ。プロレスを楽しむもの。
誰が何と言おうと、
結果を出したのが、凄いのではなく、
結果が良かろうと、悪かろうと、
自分を貫き通したのが、凄いのではなく
自我の肥大
「理」に沿い続けたのが、凄い。
「脳の暴走」を止められない「一個人」と「人間社会」
“もっともっと” に気付かない。
気付いたところで止められない
やっぱり「フラクタル」だな。。
最終的には、「知識」は “手放す”
知識が「必要」だ=「不足」している
「知識」を蓄えることよりも、
「今ここ」の『安心感』を感じてる状態を多くする。
『安心感』の中にいると、勝手に「 “そういう” 思考」になるから
▶【#安心・安全が土台】~『安心・安全』だけを抱えて生きていく。
瞑想は、「観想」にまで昇華してこそ日常で役に立つ?
日常、目を瞑って居られない。じっとして居られない。
何か一つのことに集中しては居られない。
外の現象は絶え間なく変化してやってくる。
目を瞑っていられない。耳を塞いで居られない。飲まず食わずで居られない…
「止観」は抵抗入ってる?
受け流す、スルーする他無い。
逆に「観想」は、日常でできる。
判断(比較、優劣、良い悪い、)しないことで。
奥へ奥へと、もっと「俯瞰」できるところへ…
肉体(感覚)も、頭(思考・感情)も「わたし」の外のもの。
「過去」も「未来」も関係ない、『在り方』に於いては。
まだ「現象」に引っ張られているの?
「現象」に振り回されているの?
『在り方』だけを見てろ!
▶【#『在り方』(在りよう)】~「価値観」であり、「判断基準」であり、「認知のフィルター」であり、「マインド」であり…
過去の自分は、今の私ではない
なんなら、ついさっき1秒前も…
▶【#「さとり」は一瞬】~「!」「!」「!」、、、「気付き」の連続。
なかなか”さとり”に向かえないなぁ、ってときは、
「体調」が影響してることが多い
厄介なことに、 “自覚できない” ような「小さな不調」を “脳が感じ取っている” こともある
最終的には、それすらも「わたし」と切り離せるとしても…
「昔」より、「今」のほうが圧倒的に “さとりやすい” 環境にあるだろうな…
安心を確保しやすいから。
「思考」や、肉体の「感覚」すら『外界』
ほんとうの『わたし』は、奥の奥。
その外はぜんぶ『外界』
「ミーセンター」〜「島皮質」を “断ち切る”
「睡眠」よりも、「瞑想」のほうが「頭」も「心」も “クリア” になる
あきらかに睡眠時間が短いのに…
寝る前に「比較しない」を行って、”さとり”の状態でいただけ
▶【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。
繰り返し本読んでてもまだ「気付き」があるということは、
自分に落とし込めていないということ
瞬間的に思い浮かぶ、口をついて出てしまうまで
▶実践の書?『超シンプルなさとり方』を読んだファースト・インプレッション
適度な負荷(ストレス)が欲しくなった。。
試してみたい。今の自分がそれに対処できるか(今に在る)どうか。
許容はこうやって少しづつ増やしていけるのか?
ストレスな状況を欲するなんて…
やっぱ、「比較」「評価」「善悪」「判断」しないと、ミーセンターが働かないようだ
「気づいたとき」だけ『自我』が一歩下がる
思考:「ハッ!今、わたしはこう考えてた」
行動:「ハッ!今、わたしは〇〇してた」
「思考(行動)してたわたし」を「観るわたし」
(「踊る阿呆に見る阿呆」みたいだなw)
下がり続けた先に「無我」があるのか?
本読んでもそう。
自分の思考の外を知れた(気付かされた)ときに、同じ感覚になる
▶【#認知領域】= 今この瞬間の『わたし』。「許容する」「包含する」
自分の中に、いろんな(脳の?)状態があることが分かる
どれが”さとり”(智慧の極致)なのか?
最初はそれを探る作業がある
「安心の度合い」を指標に!
長年強固に築かれた “「自我」の牙城” を、
真正面から叩き崩すのではなく、
「いなす」、「かわす」、…無いものとする(認知)
今までの「わたし」はいなくなるけど、相対的に内なる「わたし」が大きくなってくる
一人カラオケで、「ハモろう、ハモろうとしてる」のと、
「呼吸に集中する」のと、 “何が違う?”
なんか “高尚” なこと「やってる感」。
「外しても外しても」… #認知を「外す」
「ずらしてもずらしても」、無くならない。
、、、「許容」しかない!?
自分とは『縁』の遠い「問題」を、
それ「要らね」、それも「要らね」…と手放していく。
ゆくゆくは「認知するもの」すべてを。
自分にとって「重要な問題」だけが残る
元々有ったのに、隠れて見えなかった問題が。
自分の中で、なんの “わだかまり” も無いから、外へ外へ進んでいける
知らないうちに自分でストップかけてしまう。
気付ければまだ良いけど、気付けない。
早いうちに、対峙しといた方がいい。
「この世界とは?」「人間とは?」「死とは?」…
いずれ必ずそれらにブチ当たるから。
それが結局ブレーキになる。
まず自分を満たす
溢れてきたもので他を愛す
溢れてきたもので行動する
▶【#安心・安全が土台】~『安心・安全』だけを抱えて生きていく。
瞑想体験をブログに書いてるが、なぜこんなにも、(自分にとって)何のワダカマリがないのか?
唯一の一貫した『わたし』で書いてるから。
そうとしか言いようがない。。
実生活に100%反映されてるかっていうと、、、
徐々に近づけていきたい。
誰かとしゃべってるとき、”さとり” には決して至れない。
必ず “独り” 。
「孤独」にならなければ、それは味わえない。
瞑想中、孤独じゃない奴はいない。
孤独を “感じてる・感じてない” ではなく、物理的に一人でやる、ということ。
「利己的であればいい」というのは、結局、、、
自分自身をよく知れば、他人も分かるから。
「センス」の正体は『認知の密度』
結局、苦しみ・問題を消すこと。
世の中の、これにしか興味ねぇんだわ。。
▶【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。
人生でやることは、「認知を密にすること」以外ない!
世界征服すること(外)と、自己をコントロールするのと(内)は、
同じだけ喜びがある。
前者は “有限” 大。後者は”無限” 小。
▶【#意識の向き】~(外)向きか(内)向きか、それが問題だ。
何を認知するか、自在でありたい。
意識から外すか、許容するか。
禅問答でも写経でも座禅でも…一心不乱になにかする。
そしたらあるとき、「!」と突き抜ける瞬間がある。
それ!その瞬間!
何かを認知して、問題の上へと…「抜けた感」。
▶【#「さとり」は一瞬】~「!」「!」「!」、、、「気付き」の連続。
瞑想とか、なにか一つのことに集中することが、終着駅ではない。
「呼吸にーー」とか、、、
なにか一つのことに集中することで、「他のなにかを捨てる」ことができるから。
だから最終的にはその一つを捨てなきゃならない。
そうじゃなきゃ、執着してることに変わりはない。
むしろたった一つに強化されてる。
呼吸に、瞑想に、さとりに…
“執着” 駅に止まるな。
瞑想は、自分の中の「わだかまり」を解消すること
瞑想なんて、UNIQLOのtシャツと短パンで、寝転がってやったらいい
「さとり」を “上の方” から引きずり降ろしたい。。
イスから落ちそうになった、、、まさにその瞬間!
「!!」『今ここ』に在った!
完全に止まるのは難しい、、、というより無理
意識は留まれない。そういうふうになってる、としか言えない。。
『夢中』っていうのは、『緊張・拮抗』状態だ!
あらゆる「認知」の引っ張り合いの交点。
「留まってる」。だからちゃんと「観える」。
“ゼロ” ではない。「力が内在」して、今にも全方向どこへでも弾け飛ぶ可能性を秘めて「待っている」。
「偏って」一方向しか認知してなければ、『緊張・拮抗』点は生まれない。
▶【#緊張・拮抗】~夢中、ゾーン、フロー、さとり、、の「鍵」
双方向、いや、 ”全方向” で「対局」を認知していれば、より深い『夢中』に入れる
「認知が密」であればあるほど、『夢中』の深度は増す。
「はじめにことばあり」←隠してる、トラップだ
まず「意識」(欲・エネルギー)があって、次に「認知」、それからやっと「言動」(ことば含む)だ。
趣味は瞑想。と履歴書に書けない。誰かに気軽に話せない。
「瞑想」って言ったって、かしこまって「よし!やるぞ」なんて、わざわざ時間をつくって、何か座布団なり道具を用意するようなものじゃないけど。。
気付いたら、そこに入るもの。
ドロボーが金庫のダイヤルを合わせにいくときの、真にその状態。
知らんけど。。
止める、観る、ずらす、外す…そうやって、いろんな発見があることを楽しんでやれてる
「認知が密」になるから気付く。
いつも「!」があるから飽きない。続けたいと欲求が絶えない。
▶【#「さとり」は一瞬】~「!」「!」「!」、、、「気付き」の連続。
「さとり」は「認知が密」である “状態”
そんな単純な、チンケなものではない、とするのは、
「高尚なものである」と思いたいだけ。
簡単には手に入らないものだと。
これがトラップ。
だからみんなスルーする。
さとり」なんていう大層な名前で呼ぶからそうなんだ。
「X」でも「it」でも何でもいいから、呼び名を変えろ。
「自転車に乗る」のと同じ “理屈” だけど、
自転車に乗るほど “簡単ではない” 。
「希望」が “在る” から「絶望」が “在る”
希望なんか “無い”
「キ・ボ・オ、、、?それっておいしいの?」
「自分で構築したもの」は “弱い”
知識や論理で塗り固めた「信念」「プライド」、、、
積み上げたものは一瞬で崩れる
山、信用、友情、愛情、、、
「永遠であって欲しい。。」というのは、ただの願望。
真実ではない。
そうじゃなくて、「既に在るもの」は強い。
「構築する」のではなく、「発見していく」だけなんだ。
深いさとりの状態で得た認知。
答が先に分かって、あとはそれを追いかけたら、、、。理由が後。
犀川創平?
「認知を外し」続けると、問題が見えてくる
「あーここを改善したらいいんだ」
違う自分で観るということ。
価値観が変わる、偏りがフラットになる。
重要なものが変わった=違う自分
可能性が閉じることはない。
「自分が自分にレッドカードを出せるか?」というのは、
自分の「思考」、「認知」「感覚」を、それは「わたし」ではない、と「切り離せるか?」と同義。
首の皮一枚がいい
ピンと張ってる感じがする
▶【#緊張・拮抗】~夢中、ゾーン、フロー、さとり、、の「鍵」
「バカ」も「狂気」も「弱気」も「真理」も「哀しみ」も…ぜんぶ入り!プロレス!
一点においてのみ「超利己的」であるが『自我』はない
ただ『観てる』だけの「わたし」
何と闘ってんだ?。。ちゃうちゃう相手が違う!
自分を観ろ!
一人が自分の問題、『安心・安全』だけを扱い、
貯めて貯めて、あふれ出たら、他人にも影響を及ぼしてしまう。
これが『愛』か?
いっぱい影響を及ぼす人もいる。
時空を超えて、、、空海?
▶空海は分かってたんじゃないかなぁ。。「自分の死後、何百年、いや千年を超えてもなお、『影響力』を及ぼす」ことを。
感度が繊細で敏感で、すぐに反応してしまう…
「わたし」と「感情」・「外界」・「思考」が一体になってる
そのものに巻き込まれている
「わたし」はその外で観ているものだ。
“夢中になって” 『観察』してたら、もう巻き込まれない
「誰かの問題」をずっと解決してるからダメなんだ
“誰かの” っていうのは今回置いといて、、、
そもそも、「問題は無い」としてないから、問題があり続けるんだ。
「問題が無かったら、どーする?」
これ、宿題な。
▶【#新しい問題解決法】~「問題」を「問題としなくなる」。相対的に。
ずっと分かんなかった、、、「切り替えろ!」って、
『在り方』を変えることだったんだ
もっと分かんないか、アハハ
出る言葉が “その瞬間の” 自分の世界だ!
この世界のすべてのワードをブログにぶち込む気合でいけ!
「腹八分目」じゃないと、『緊張・拮抗点』を感じれない
認知できなくても、胃腸に意識を取られてる?
いつか、道端に咲く花を見て “笑顔になってしまう” 自分を、
「ここまで来たか」と思える日が、、、来る気しかしないw¯\_(ツ)_/¯
危機にひんしたとき、なにかに囚われてると、
反応が起きない
認知が曇る
避難訓練はやっとかないと…