『分別』を無くしていった極地が、、、
「私」と「他人」は “同じ”
「私」は “世界の一部” であり、世界は「私」 “そのもの” でもある、、、(#わたし・自我)
得られる認知は人それぞれでも、
結果、優しくなる。
「わたし」が「わたし」を傷つけることなど出来ないから。
分別を無くそう。
分別が争い(競争)の起源。(#競争世界)
- 1. 「苦しみ」と「問題」の発生原因は、『分別』
- 2. いろんなところに在る『分別』
- 3. どうやって、『分別』を無くすか?
- 3.1. 「社会人」である前に「人間」だ。
- 3.2. 「一家離散」がイコール「不幸せ」「悲惨」だというのが分からない。。
- 3.3. 「社会と繋がっていない」ことより、
- 3.4. 「比較」や「善悪」で「評価」をしないとは、「捉え方」を “変える” ことだ
- 3.5. 「好き・嫌い」のフィルターを外す
- 3.6. 「見るともなく全体を観る」とは、「目の使い方」ではなく、
- 3.7. ただ座ってるだけで、人に影響を及ぼす僧もいる
- 3.8. 「それはお前の感想だろ。」
- 3.9. 比較・判断しない、、、正直言うと、それらはしてしまうもの。
- 3.10. 「比較」はしてしまうもの。。
- 3.11. 「人間が知覚できる」のは、「差異」とか「変化」などの「相対値」だけ。
「苦しみ」と「問題」の発生原因は、『分別』
たとえば、「愛」を認識した時点で、「愛以外」が同時に存在する。
「これが愛だ!」
「正義」を認識すれば、「悪」が、、、
この分別を無くしていくと、最終的に残るのが、「わたし」。
「わたし」は、すべてを『観察』するもの。
これを消滅するのは『死』も同然。
自分が「存在しない」ことだから。
いろんなところに在る『分別』
人間も他の生物も、みんな奪って食ってる。
どこまでが「残酷」で、どこからが…
そんな境界ある?
「他人をバカにし」て、”相対的” に「自分を上げる」
あーくだらね
「わたし」と「それ以外」。分けた瞬間、物語を生む。
「脳」が生み出す。(#脳の機能)
物語には「時間」が在る。
これが「時間が存在する理由」だ。(【#「時間」は存在しない】)
「何をしてる」とか、「何をしてない」とか…
そういう「分別」自体が “クソ💩” なんだ。
「さとり」と「うんこ💩」は同じもの。
どっちが良いとか悪いとか、きれい、汚いも無い。
「概念」と「物質」だから、そもそも並べられるものじゃない、、、
そういう「区別」が『問題』を発生させるんだ。
うんち💩で笑えないあなたは分別してる
「うんち」→「便」として見てる
これは高尚なもの、これはそうじゃない、という区分け。
子供の頃は笑ってたはずだ。
「神」と「自我」は “同じ” 。
人それぞれの認知。
「神」がいる。
「わたし」が在る。
。。。で?
ほんとうに、成長してるのか、、?
大人になるにつれて、
どんどん “狭く” なってる気が。。「認知領域」が。(【#認知領域】)
どうやって、『分別』を無くすか?
「社会人」である前に「人間」だ。
この観方。
「社会人」を包含する「人間」という観方。
ものごとを「分けない」。極力大きく括る。
「抽象度」を上げる。
お金を稼げとか、法律を守れとか、
うっさい外野の声にすぐ「反応してしまう」自分
まだ「社会」なんてなかったずっと大昔、
人間は人間だった。
「一家離散」がイコール「不幸せ」「悲惨」だというのが分からない。。
ここ最近の “社会的に” 、でしょ。
“生物の歴史” からしたら、ほとんどの家族は「一家離散」だ。
「社会と繋がっていない」ことより、
「社会と繋がっていない」ことより、
「この世界と繋がっていない」という感覚の方が深刻だ— ハチ@夢中で在りたい。。。 (@hachi_hsp) November 12, 2022
「この世界と繋がっていない」という “感覚” の方が「深刻」だ。
「比較」や「善悪」で「評価」をしないとは、「捉え方」を “変える” ことだ
“「観え方」が変わる” ことだ
グルーピングしない、すべてを同列に捉えるから、相対的に、今まで見えなかったものが、浮かび上がって見えてくる。
他には、、、
① 「ミー・センターが働かない」
あのいや〜な感じがない
「憐れみ」すら覚える
② 「”二の矢”が発動しない」
ともかく、
「切り取り方」、「グルーピング」で「認知するもの」は “変わる”
「好き・嫌い」のフィルターを外す
「見るともなく全体を観る」とは、「目の使い方」ではなく、
意識の『在り方』のことでは?(#『在り方』(在りよう))
分別を無くす。優劣を無くす。判断しない。
だから、選り好みしない認知。
普通は、自分にとって大切(だと思っている)なことだけを認知する。(【#認知領域】)
分別しないことで、観える(認知する)。
速読の訓練…(#◆読書)
ただ座ってるだけで、人に影響を及ぼす僧もいる
中学生のとき、飢えて、野良犬のようにゴミを漁った
それを規則だからといって対処しようとする学校
責めるべきは学校で、
生きることに真摯な自分を褒めてやりたい
「みんなそれぞれ必死で生きてんだよ!」(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。)
「それはお前の感想だろ。」
すべての「情報」に言えること。
♪ よー、そこの若いの 俺の言うことをきいてくれ 「俺を含め、誰の 言うことも聞くなよ。」
『よー、そこの若いの』竹原ピストル
比較・判断しない、、、正直言うと、それらはしてしまうもの。
「反応」するのは “どうしようもない” ので、
いち早く気付いて止めること。(#止まる)
「比較」はしてしまうもの。。
「小さい」「凄い!」「汚い」、、、
してしまうのは、「脳のデフォルト」だからしょうがない。(#脳の機能)
でも、人間は、それに気付ける「!」
いち早く気付いて、止める。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、)
それをやってるのが「瞑想」。そこに「負荷」をかけている。
「思考」や「感情」、「感覚」にまで表れてしまうのでは、 “遅すぎる” 。
もっとずっと手前の “無限小” の段階で「気付く」のだ!
「人間が知覚できる」のは、「差異」とか「変化」などの「相対値」だけ。
「絶対的な存在」は知覚できない。
できるのは「ことば」によって、人間の都合のいいように「切り取る」とき。
だから、「〇〇」ってなんだ?という問いは意味不明🔮
“無理矢理” 答えるなら、
それは「ことば」です。としか言いようがない…