【瞑想日記】更新中!

【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。

【#分別】~「比較」・「判断」・「優劣」、、してしまう。。

『分別』を無くしていった極地が、、、

「私」と「他人」は “同じ”

「私」は “世界の一部” であり、世界は「私」 “そのもの” でもある、、、(#わたし・自我

 

得られる認知は人それぞれでも、

結果、優しくなる。

「わたし」が「わたし」を傷つけることなど出来ないから。

 

分別を無くそう。

分別が争い(競争)の起源。(#競争世界

 

目次

「苦しみ」と「問題」の発生原因は、『分別』

たとえば、「愛」を認識した時点で、「愛以外」が同時に存在する。

「これが愛だ!」

「正義」を認識すれば、「悪」が、、、

 

この分別を無くしていくと、最終的に残るのが、「わたし」。

「わたし」は、すべてを『観察』するもの。

 

これを消滅するのは『死』も同然。

自分が「存在しない」ことだから。

 

 

いろんなところに在る『分別』

 

人間も他の生物も、みんな奪って食ってる。

どこまでが「残酷」で、どこからが…

 

そんな境界ある?

 

「他人をバカにし」て、”相対的” に「自分を上げる」

あーくだらね

 

「わたし」と「それ以外」。分けた瞬間、物語を生む。

「脳」が生み出す。(#脳の機能

 

物語には「時間」が在る。

これが「時間が存在する理由」だ。(【#「時間」は存在しない】

 

「何をしてる」とか、「何をしてない」とか…

そういう「分別」自体が “クソ💩” なんだ。

 

「さとり」と「うんこ💩」は同じもの。

どっちが良いとか悪いとか、きれい、汚いも無い。

 

「概念」と「物質」だから、そもそも並べられるものじゃない、、、

そういう「区別」が『問題』を発生させるんだ。

 

うんち💩で笑えないあなたは分別してる

「うんち」→「便」として見てる

これは高尚なもの、これはそうじゃない、という区分け。

 

子供の頃は笑ってたはずだ。

 

「神」と「自我」は “同じ” 。

人それぞれの認知。

 

「神」がいる。

「わたし」が在る。

 

。。。で?

 

ほんとうに、成長してるのか、、?

大人になるにつれて、

どんどん “狭く” なってる気が。。「認知領域」が。(【#認知領域】

 

 

どうやって、『分別』を無くすか?

 

「社会人」である前に「人間」だ。

この観方。

「社会人」を包含する「人間」という観方。

ものごとを「分けない」。極力大きく括る。

「抽象度」を上げる。

 

お金を稼げとか、法律を守れとか、

うっさい外野の声にすぐ「反応してしまう」自分

 

まだ「社会」なんてなかったずっと大昔、

人間は人間だった。

 

「一家離散」がイコール「不幸せ」「悲惨」だというのが分からない。。

ここ最近の “社会的に” 、でしょ。

 

“生物の歴史” からしたら、ほとんどの家族は「一家離散」だ。

 

「社会と繋がっていない」ことより、

「この世界と繋がっていない」という “感覚” の方が「深刻」だ。

 

「比較」や「善悪」で「評価」をしないとは、「捉え方」を “変える” ことだ

“「観え方」が変わる” ことだ

 

グルーピングしない、すべてを同列に捉えるから、相対的に、今まで見えなかったものが、浮かび上がって見えてくる。

 

他には、、、

① 「ミー・センターが働かない」

あのいや〜な感じがない

「憐れみ」すら覚える

 

② 「”二の矢”が発動しない」

 

ともかく、

「切り取り方」、「グルーピング」で「認知するもの」は “変わる”

 

「好き・嫌い」のフィルターを外す

 

「見るともなく全体を観る」とは、「目の使い方」ではなく、

意識の『在り方』のことでは?(#『在り方』(在りよう)

 

分別を無くす。優劣を無くす。判断しない。

だから、選り好みしない認知。

普通は、自分にとって大切(だと思っている)なことだけを認知する。(【#認知領域】

 

分別しないことで、観える(認知する)。

速読の訓練…(#◆読書

 

ただ座ってるだけで、人に影響を及ぼす僧もいる

中学生のとき、飢えて、野良犬のようにゴミを漁った

それを規則だからといって対処しようとする学校

責めるべきは学校で、

生きることに真摯な自分を褒めてやりたい

【読書感想】「食えなんだら 食うな」~題名がすべて。。

「みんなそれぞれ必死で生きてんだよ!」(【#利己的】~「自分の問題」だけを解決してればいい。。

 

「それはお前の感想だろ。」

すべての「情報」に言えること。

 

♪ よー、そこの若いの 俺の言うことをきいてくれ 「俺を含め、誰の 言うことも聞くなよ。」

『よー、そこの若いの』竹原ピストル

 

比較・判断しない、、、正直言うと、それらはしてしまうもの。

「反応」するのは “どうしようもない” ので、

いち早く気付いて止めること。(#止まる

 

「比較」はしてしまうもの。。

「小さい」「凄い!」「汚い」、、、

してしまうのは、「脳のデフォルト」だからしょうがない。(#脳の機能

 

でも、人間は、それに気付ける「!」

いち早く気付いて、止める。(【#止まる】~「とまる」・「やめる」・「とめる」、、

 

それをやってるのが「瞑想」。そこに「負荷」をかけている。

 

「思考」や「感情」、「感覚」にまで表れてしまうのでは、 “遅すぎる” 。

もっとずっと手前の “無限小” の段階で「気付く」のだ!

 

「人間が知覚できる」のは、「差異」とか「変化」などの「相対値」だけ。

「絶対的な存在」は知覚できない。

 

できるのは「ことば」によって、人間の都合のいいように「切り取る」とき。

 

だから、「〇〇」ってなんだ?という問いは意味不明🔮

 

“無理矢理” 答えるなら、

それは「ことば」です。としか言いようがない…

 

~ ごあいさつ ~ ハチ@夢中

瞑想やってます。日記書いてます。 ウソかホントか、よく分からない話を読んでくれてありがとう。自分が「認知した世界」を少しづつ書き溜めてます。 (♪素敵なものが欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う 『JAM』THE YELLOW MONKEY) 自分の頭の中を覗かれるようで恥ずかしいけど、公開します。(後悔しません!) 「ここが違うよ!」「それは分かる」「合ってるよ!」何でもご意見・ご感想頂けると嬉し いです。(難しいことは分かりませんw)