「依然、問題が存在するなら、解決じゃないじゃ〜ん」
解決するほどのことではない。
問題とするまでもない。
になっちゃった(*ノω・*)テヘ
- 1. 「問題」の「抽象度」を上げていくと、
- 2. 「出来る」は、「出来ない」を『包含』してる。
- 3. 「知識」はある程度行ったら “手放す”
- 4. 「タイムマシーン」が可能かどうか、もう考えなくて良くなった。
- 5. 悪口や心無い他人のことばにいちいち反応してしまう。。
- 6. 認知が密 であれば、「探し」たり、「学ぶ」必要は無くなる。
- 7. 「認知が密」になると、「解決方法」が “思い付く” ようになるけど、、、
- 8. なんで「手放す」と、叶うのか?
- 9. 「小さな欲」をスルーして、より「大きな欲」を満たすと、
- 10. もっと “やりよう” が有ったことに気付かない、気付けない
- 11. 3択
- 12. 「新しい問題解決法」、、、まったく新しくねぇ。。
- 13. 喋れば喋るほど「矛盾」や「問題」が生じる
- 14. 「問題を見つけよう」と思えば、いくらでも見つかる。
- 15. やる前から、「負け」を許容してる
- 16. 「もっともっと」と欲を肥大化する方が「面白い」のか。縮小する方が面白いのか。 #ほんとうの欲求
- 17. 「体調を回復する」より大切なことは、、、
- 18. 「食べすぎた」とき、どう解決するか?
- 19. 健康だって、元気でいれるかどうかなんて、究極言えば、
- 20. 一度繋がった「縁」は消せない。 #縁起
- 21. ウォーキングだぁ、ランニングだぁ…
- 22. 「自分ごと」”じゃない” から言える。。
- 23. 「人は人に頼らなくては生きていけない」、、、?
- 24. 会議とか、問題解決にはならない
- 25. 「さぼり癖を直す方法」、、、?
- 26. 他人の感情に振り回されない
- 27. 「少子化」の “何が問題なのか” ?
- 28. 「わたし」が誰であるか?なんてどーでもいいこと。
- 29. すべてを捨ててる人は強い
- 30. 「食えなんだら 食うな」
「問題」の「抽象度」を上げていくと、
今まで「問題」として認知していたのが、些細なこと、問題とする程でもないことになる。
ずーっと上げていくと、”緊急ごと” が無くなり、「自分にとってじっくり取り組むべき重要なこと」だけが問題になる。
何が問題なのかサッパリわかりましぇん w
「出来る」は、「出来ない」を『包含』してる。
「出来る」なら、「出来ない」を『選択』して “振舞う” ことができる。
(「止める」ことが出来れば、あえて「止めない」も出来る。)
問題は、自分が「出来ない」立場だったときに、どうやって「出来る」を包含するか。。
これが出来たら、「新しい解決法」の完成だ。
「知識」はある程度行ったら “手放す”
“知るキッカケ” にはなっても、”役立てられるかどうか” は別。
この世界を「抽象度」で表す情報世界と観れば、
知るべきことは、一番上の一つのみ。
仏教なら「空」か?
下の方の細かい情報は無数にあって、切りが無い。
上を知っても分からないなら、「一つ下」の情報へいく。
この方が早い。
「犬」を知らずに「プードル」に出会うようなもん。
「猫」に会っても、”それが猫だと” 「分からない」。「気付く」のは “ずっと後” 。
「知識」はある程度行ったら “手放す”
「タイムマシーン」が可能かどうか、もう考えなくて良くなった。
『時間なんて無い』とさとったら。
こうやって「扱うべき問題」は消えていく
抽象度を上げたんだ。
▶「宇宙人がいるかいないか問題」に終止符を打った抽象度高い科学者の考え
悪口や心無い他人のことばにいちいち反応してしまう。。
相手を変えようと思っても、それはちと難しい、、、
そういう人は必ずいる。と頭では分かっても、本当には分かっていないのだ。(身体や心が反応してる。。)
自分の認知が狭いのだ。
認知を拡げる。許容する。器を大きくする。相対的に問題は小さくなる。
認知が密 であれば、「探し」たり、「学ぶ」必要は無くなる。
「今のままでいい」、と。
「認知が密」になると、「解決方法」が “思い付く” ようになるけど、、、
必ずしもそれが正解かってわけじゃない。
正解なんて誰にも分からない。
ただ 「選択肢が増える」 から、上手くいく “可能性も上がる” ってこと。
“頭が良くなった” と勘違いはいけない。
「思い付くことが増える」のは、頭が良くなったからじゃないか?
いや、そうとも言えないんだ、、、これが。
思い付いたがゆえに、解決するために「試すこと」、「やらなきゃならないこと」を自ら増やしてるんだ。
人生で目指したいことの大きな一つは、「何も問題が無い」という状況なのに、
これでは、問題との関係が続いてしまうんだから。
問題は「解決」するんじゃなくて、「消して」しまおう。
なんで「手放す」と、叶うのか?
「認知が密」になって、”気付けなかったこと” に気付くから。
「小さな欲」をスルーして、より「大きな欲」を満たすと、
「小さな欲」も同時に満たされる
もっと “やりよう” が有ったことに気付かない、気付けない
自分が「事象の “渦中” にいる」から。
3択
①「この世界は、嫌なものばかり…」と観るか、
②「素敵なものに溢れてる…」と観るか、
③「両方あって、それで世界は成り立っている」と観るか。
「新しい問題解決法」、、、まったく新しくねぇ。。
2000年以上前には、既に在った。
“新しい” と感じるのは自分の主観。
喋れば喋るほど「矛盾」や「問題」が生じる
これは “「あなた」のせい” ではない。
言葉や論理が「矛盾」を孕(はら)んでるんだ。
「問題を見つけよう」と思えば、いくらでも見つかる。
「論理」が必ず「矛盾」を含む証拠。
やる前から、「負け」を許容してる
もちろん「勝ち」も。同等に。
「今ここ」に100%コミットするために、
「勝ち負け」に、意識を割かない。
ほんとうに力を発揮できるのは、
「負け」も「勝ち」も意識から外れ、
ただ今やる行為に夢中になってるとき。
そこレベルは問題ではない。
問題はもっと上の方にある。
結果なんて知らね。
【追記】理由は後から分かる!
大橋会長の話し。。「井上尚弥は35歳まで続ける(決めてる)。←コレが凄い!」
https://youtu.be/zyLHvB7WMn0?t=477
「負けてもすぐ次勝てばいいんだ」っていう考え。35まで続けることは決めてる。
「普通は、負けたら引退考えちゃう。。」「悲壮感が無いのよ。」
負けを許容してる!こういうことか。。
「もっともっと」と欲を肥大化する方が「面白い」のか。縮小する方が面白いのか。 #ほんとうの欲求
両方「面白い」と分かれ。
偏るな。
もっと面白いのは、それをよーく観ていること。
「バカだなぁ」って思えるほど。
「体調を回復する」より大切なことは、、、
「 “体調1割” でもサイコー!」って実感できるかどうか。
「体調」を問題としない『在り方』を創る。
「食べすぎた」とき、どう解決するか?
「バカだなぁ」と笑えるか?
体調悪いのは変わらなくても、『在り方』は変わる
許容した
問題に巻き込まれない
認知(解決方法)が生まれる
「身体動かそう」って。
健康だって、元気でいれるかどうかなんて、究極言えば、
コントロール不可。
医者だって病気する。
そんなことに意識を向けて思考を使って時間を費やすよりも、
暴飲暴食しない。以上、これだけ。
あとは「委ねて」「手放す」方がよっぽど健康的に在れる。
一度繋がった「縁」は消せない。 #縁起
消そうとすれば、抵抗・反発が強くなる。
良い「縁」は、利用する。増幅する。
悪い「縁」は、相対的に小さくする。
ウォーキングだぁ、ランニングだぁ…
そんな「区切らない」で、
『緊張・拮抗点』を探って、そこに居続ければいい。
『緊張・拮抗点』は毎瞬 “揺らぐ”
「心地良い」と「きつい」の狭間で揺らぐ
「意識」はフォームとか景色とかじゃなく、『緊張・拮抗点』に向ける。
気付いたら上達してる
ただ “充実してた” だけなのに…
「自分ごと」”じゃない” から言える。。
「問題の外」に居るから、解決策が見つかる。
それが解決策だと “思える” “気付ける”。
問題の渦中に居たら、、、そりゃ無理だわぁ。。
「人は人に頼らなくては生きていけない」、、、?
「一人でも生きていける」が良いのは、
「人に頼る」を包含していること。
べつに、「頼っても良い」と。
頼ることもできるし、頼らないこともできる。自由。というか、どっちでもいい。
会議とか、問題解決にはならない
連想ゲームでしょ。ことば、頭の反応。
「既定路線」から “外れない” 。
問題をほんとうに解決するには、問題の渦中にいては、「扱うべき問題」が “何なのかさえ分からない” 。
外へ出ないと。
「さぼり癖を直す方法」、、、?
まず「さぼること」の何が問題なのか?
自然発生的なことだろう。。
以上、終了。
他人の感情に振り回されない
誰かが怒ってるのは、その人の認知が偏ってるから。
以上。
「少子化」の “何が問題なのか” ?
経済が、国の存亡が、、、
国が滅びる、人類が滅びることの何が問題なのか?
むしろ自然じゃないか?
「人間って自滅に向かってる、抗えない生物だったんだなぁって。」
テーマが大きすぎて、「 “自分が扱うべき” 問題」じゃない。
影響力が及ばないんだ。
こうやってまた自分の中で問題が消えていった…
意識を向ける対象がまた一つ減った。
それに時間も労力も、思考も割かなくて良くなった。
「問題」を「問題」と “レッテル” 張って「認知する」ことで、「問題」が「問題」となる。
本来は問題でもなんでもないことを…
「わたし」が誰であるか?なんてどーでもいいこと。
すべてを捨ててる人は強い
よく、あきらめたときに、閃いた。とか。
それは、問題を外から観れるようになって、認知領域が拡がったから。
どこまで捨てれるか。。
「食えなんだら 食うな」
“究極” の「解決法」!
「生」と「死」を許容している。。