やってることがいつも新鮮でいられないのは、「慣れ」るから。
瞑想してても、「お!これだ」と思った手法をしても、
最初は「スゲー!」ってなるけど、2回目、3回目と段々効果が薄れていく。
▶ 限界効用逓減の法則
「慣れ」という機能が備わっているから。
それを忘れて、「この手法はやっぱりダメだ」と結論付けて瞑想自体を止めてしまう。
では、「手法」をずらしてみる
すると、「そうか、こっちか!」となって、、、
以降、繰返し(∞)。
「慣れ」には逆らいようがない。さっさと「降伏」しよう。
“簡単すぎ” れば「慣れ」が生じ、 “難し過ぎ” れば「ストレス」が発生する
「手法」に着目しない。
「やり方」とか「何をするか」とか「手法」とか。
ここじゃないんだ。
どんな「手法」にもある、『緊張・拮抗』状態にこそ着目すべきだったんだ。
「絶妙な難易度」と言ってもいい。
『テトリス』にはそれが仕組まれている。
ずーっとやり続けてしまう。
たとえば瞑想での手法のひとつとして、「止観」
「思考」が浮かんだら、気付いて「止める」
これを「どれだけ早い段階で “気付けるか” ゲーム」にしてしまう。
今の自分の最高に鋭敏な「気付きセンサー」を発動する
「もののふさん」は気配で斬る。
「もののふさん」とは、思考の番人のこと。。
▶ 【注)完全自己流】「今に在る」ために具体的に実践していること。