情報を得ようと、YouTubeをイヤフォンで聞きながら思ったこと、、
入ってくる「情報(音)」と「わたし」を切り離そう(≠)と試みた。
、、これではダメなんだ。。
「聴覚」を遮断したとしても、それは “一時” のことで、「現象」は絶えず浴びせられてる。
ずっと遮断することは不可能。
意思は続かない。「慣れる・飽きる」があるから。
気付くと再び、「現象(情報・音)」に “飲み込まれる” 。
「許容」してみる。
「意味」を取ろうとしない。ただの音だ。
スルーする。
「あーなんか流れてんなぁ。。」
このときの『在り方』の “感じ” の違い。
ことばでは説明しづらい。。
「抵抗」と「許容」
「STOP」と「スルー」
「狭い」と「広い」(「認知世界」の広さ)
「もう頭がいっぱいだよぅ。。」と「既視(聴)感。あーそのことね。知ってる」
(細かい詳細がどうとかは分からないけど、上位概念を知ってる感じ)
、、、
後者の “感じ” で居ると、楽。
前者だと、ずっと頑張ってる感じ。ストレス。続かない。